小丸山という山があって、山の名前が麓の字名になって、いつのころか(明治40年ですが)、山頂に雷電様の石祠が祀られ、以後雷電山と呼ばれるようになった。それほど無理のないストーリーだと思うのですが、いかがでしょうか。昔から呼び慣わされている山名が水道施設ができたことによって、水道山になってしまう。そんな流れで雷電山が生まれたと。頂上にアンテナがあるからアンテナ山というのは勘弁して欲しいですが。
下の金葛にある山だから金葛山というのは字名からです。この二つの山は山名不祥のまま前仙人ケ岳の項で紹介しています。山名が特定できたら項を設けようと思っていました。今回もまだ山名が特定できた訳ではないのですが、前回紹介した遊歩道の入口が通行止めになってしまっていたので、フライング気味ですが再登場させました。 

前回紹介した遊歩道の入口がこんなもので塞がれていました。入口のものは読めなかったのですが、山側のものがこの写真です。このバリケードの反対側が遊歩道の起点です。こんなバカな話って。折角作った遊歩道の入口を塞いでどうしようというのでしょうか。僅かの距離で、全然危険ではありません。何度も何度も何度も何度も通っています。登る時なら未だしも、下山してきて、すぐそこに民家が、車の走る道路が見えているのに、こんなもので道を阻まれたら途方にくれるでしょう。
気にせずに突破すると、それはそれは凄い急な登りで雷電山への分岐に出ます。遊歩道ですが、既に滅びかかっています。真中に手摺のつけられた登路を登ると右に三十三夜塔、正面に雷電様の石祠です。三十三夜塔は天保年間、雷電様は明治の建立でした。山頂にボンゼンが立てられているのを見ますから、今でも信仰されているのでしょう。眼下に桐生川が見おろせてそれなりの眺めがあります。
もとの道に戻り倒木等の目立つ手入れされていない遊歩道を進むと金葛沢から登ってくる、数年で時代のついた舗装された遊歩道か作業道かよくわからない道に出会います。道は十字路で右は金葛山。落葉の散りしいた作りっ放しの土の道です。山頂は意味がわからない柵で囲われています。展望台とでも言わせたいのでしょうか。ま、展望はそれなりにありますが。
この後、時代がついて歩きやすくなった舗装された道を通って雨降山に登ったのですが、悲しいことに当会の設置した山名標が外されていました。どうしてかなぁ。
ここからの遊歩道の入口は分りにくかったのですが、この立ち入り禁止の貼り紙でかえってわかりやすくなりました。舗装の道も切り開かれた道なので、すこぶる展望がよい道になっています。仙人ケ岳や観音山への登山路、下山路として十分に使えます。

小丸山の由来についてhisiyamaさんからご教示があった。桐生氏の柄杓山城の出城(特に物見山砦と本城が直接見えないので小丸山が中継の役目をしていた)出丸山がいつしか丸山といわれ、小さい山なので小丸山になった。ということで概念図を訂正した。下に掲載された雷電山も小丸山と読み替えて欲しい。


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