登る前から嫌な予感がしていたんですけれど、発端は2005年の11月の地元夕刊紙の桐生タイムスのコラムに次の記述があったことです。“相生から川内方面を望んで、相川橋の正面にそびえる経塚山から吾妻山にいたる峰々の紅葉が日に映えて輝いていた…(2005年11月29日 山の装いがある風景)”経塚山?桐生の山の名前としては初めて聞く名前だったので、気になっていたのですが、自力で調べることができなかったので、桐生タイムス社に問い合わせたところ、“経塚山は、相川橋の相生側橋詰から望むと、きりしん川内支店の広告塔の背後にみえるきれいな三角形の山です。地図で見ると、川内町二丁目と五丁目の境界をなす稜線の、標高340.7メートル地点が山頂です。桐生市現形図には名前が掲載されています。”というお返事をいただきました。お手数かけました。私の平成10年版の桐生市現形図には、標高しか載っていなかったもので。読者のふりをしましたが、購読しているのはおやじで、私は今年になってからおやじの所の古新聞を読んだのでした。

というわけで、本町5丁目の信号を西に、赤岩橋の手前の信号を右折、小倉峠を越えて、駒形方面へ。桐生タイムス社のお返事にあった桐生信用金庫川内支店を発見。その先に地図で見つけた赤城神社も発見しました。赤城神社にお参りして振り返ると山に登っていく手すり付きの途もみつけました。赤城神社の境内にも車は置けそうでしたが、コンビニの北側の道路の路肩が広く空いていたので、そこに駐車しました。川内公民館の駐車場が広いので、そちらの方が安心かも。

前日から、朝方まで雨だったので、サンダルはやめて、これが嫌な予感を適中させるもととも知らず、ウォーキングシューズを履いてしまいました。見当をつけた取り付きもドンピシャで、高みへと導いてくれます。ヤブとクモの巣を予想して持ってきたカサも出番がないほど、しっかりとした踏み跡が続いています。雑木の尾根は明るく、快適に歩けます。落葉期だったら、それなりの展望もありそうです。

始めは経塚山の山頂を踏んで、和田山(菱の住人さんのご教示。四等三角点 点名川内)に下る予定だったのですが、葉が繁っているため、下降点が判然としません。気持ち良く経塚山まで登ってしまったので、嫌な予感を実現させる方向で足が動いてしまいました。概念図をご覧ください。一番上の笹久保から一番下の赤城神社まで延々と車道歩きをしてしまいました。お陰で、雨宿り小屋なる素敵なものを見つけることができましたが(写真をご覧ください)。場所はあえて、概念図には記載しませんでした。この道は駒形から鳴神山、大崩から金沢峠への途次に何度か通過したのですが、歩いてみてはじめて目にとまりました。

で、まだ経塚山です。(経塚とは経を収めた匣を土の中に埋めた場所をさし、以前はここにも痕跡があったらしい。)長文になりそうなので、もう少しご辛抱のほどを願い奉っておきます。手前に素晴らしい眺望の場所があります。条件次第で富士山も見えること請け合いです。経塚山の先、やせ尾根状の地点からの吾妻山もなかなかでした。榛名山や浅間山、荒船山(こちらの経塚山は著名ですね)、妙義山を望める地点もあり、歩いて損のないコースだと思います。道筋には適度にリボンやレジ袋がちりばめられ、迷うことはないでしょう。歩いている実感で、コースが90度に折れる地点には巻き道がありましたが、ピークを通る道にもちゃんとリボンがつけられているので、ピークを通った方が縦走の気分でしょう。

この辺りから、まだ遠いのですが、ピークにアンテナを何本も立てた山が見えだします。342.2mのピークは展望もよく、崇禅寺方面へ下る道にもリボンがつけられていました。サンダルだったらここで崇禅寺に下れたのでしょうが、足はついに最後のターニングポイントを越えてしまいました。

崇禅寺は、平将門を倒した藤原秀郷の子孫の園田成家が大番勤仕のため上洛して法然上人の弟子となり智明と号し、小倉村に庵を建てたのが始まりだそうです。イイクニ作ろう鎌倉幕府の8年後、1200年に創建されたということです。

ここから少し植林帯の道になり、雑木に変わるとアンテナ林立のピークです。四等三角点の笹久保はここから少し下った左側です。ここにもR・Kさんの標高だけのプレートがありました。

アンテナのピークには小さな石祠があり、展望もあまりないので、石祠の写真だけ撮って通過しようと思ったら、大変なものを見つけてしまいました。山名プレートです。アンテナ山ぁ〜。どなたがつけたのか存じませんが、アンテナ山はやめようよ。やっちゃったことはしょうがない。今なら誰にも分らないし、おにいさん誰にも黙っててあげる。お金で済むことだったら150円でも、300円でもあげるから。アンテナ山はひどいでしょう。子供に言えないでしょう、「パパ、今日どこ言ってきたの」「パパね、今日はアンテナ山に行ってきたんだよ」なんて。アンテナ山に反対に1票投じます。例えば、点名の笹久保山とか、石祠山とか、ここは一つ穏便にお願いしますよ。

村松峠の項に書いたのですが、村松峠から自然の森の上部を通って霊符尊神と、この(仮称)笹久保山までを紹介するコースを準備していました。はからずも、ここで繋がってしまいましたので、霊符尊神はこちらで紹介します。三角点からなお下ると道の左側に、上部に丸く穴の空いた四角い石柱があります。穴の上に北斗七星。妙見信仰のものだそうで、天保四年(天保の改革より前)に建てたと刻まれています。この穴からは大間々の駒見山が覗けるそうです。(菱の住人さんのご教示。繁茂期は当然、繁っている木の葉しか見えません。筆者は落葉期にもここに来ているのですが、穴を覗くことに思い当たらなかったので、未見です。)ここから少し下ると右側に石宮があり、道は十字路に出ます。直進は吾妻山、右に下ると自然観察の森、左は名久木バス停。筆者は左折して存分に車道歩きを堪能しました。長文におつき合いありがとうございました。和田山と八幡山の上のピークは別に項を設けます。

※霊符尊神からの写真いただきましたので下に掲載します。※概念図中の細い点線は筆者の未踏査区間です。

2006/7/6 概念図の342.2mピークが花柄山と判明しました。後日、崇禅寺から登った記録を掲載します。八幡宮の上のピークも雷電山と判明しました。川内雷電山の項をご覧ください。アンテナ山に関しては笹久保山の項をご覧ください。

hisiyamaさんから写真の提供がありました。霊符尊神の穴からの写真と和田山の三角点です。ありがとうございました。

2007/4/1 経塚山に山名プレート設置
楚巒山楽会会長を迎えての月例山行で、経塚山から花柄山への縦走を試みました。和田山の位置を尾根上から認識でき、行けそうな気がしました。花柄山の山頂に今まで気付かなかった朽ちた道標がありました。昔から整備されている山のようです。花柄山の登り口に山歩き用の杖がたくさん置かれているの意味にも気付きました。勝手に使っていいよということでしょう。たぶん。崇禅寺の自然を愛する会の方々のご所業でしょうか。ありがたいことです。経塚山の山頂においてあった杖を使わせて頂き、所定の場所に戻しておきました。登山道も整備され、新しい布が巻かれています。川内公民館に駐車したので、のんびりと崇禅寺から里道を歩き石憧や智明上人の墓など見物することができました。下ってきた崇禅寺には俳句と短歌の投句箱がありました。俳人である会長が投げ句したのはいうまでもありません。年に四回、春夏秋冬で優秀作を選び崇禅寺のホームページで発表されるようです。

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