新坂平から大沼に向って下っていくと左側に大きな看板が立っています。白地にスカイブルーの字で見晴山入口と書いてあります。赤城山の登山口では一番派手な看板です。ツツジの大木があり、花の時期には賑わうようです。展望台の看板も併設されたので久し振りに登ってみました。展望台と思しき平坦地には富士見村の説明板が置かれ、頂上付近にあった東屋は跡形もなく撤去されていました。北山にも東屋があったという記述がありましたが、北山もそれらしき平坦地があるだけでした。頂上だけでなく、山中にはあまりその手の建物は必要ではないと思います。お金を使いたい方たちが無理やり作っているのでしょうが、落書きの対象物やゴミの集積場にしかなっていないと思います。撤去する費用もかかると思うのですが。

2万5千分の1図の「赤城山」や富士見村の観光ガイドマップでは頂上から大沼や白樺牧場方面に点線が伸びています。前回登ったときにはうすい踏み跡があったのですが、今回はまだ繁茂期だったので発見できませんでした。

赤城山で遊ぶ時のネタ本は富士見村の観光ガイドマップ、「赤城山 花と渓谷 沢あるき/滝めぐり30選 青木清著(上毛新聞社)」、「上州の山 花漫歩(その1、その2、その3)根岸晃著」などを使用しています。富士見村の地図では新坂平の駐車場から地蔵岳へ登る破線が書いてあるのですが、今のところ見つかっていません。
青木清さんの「赤城山花と渓谷」の鍬柄山と鈴ケ岳の項に姥子峠には石碑と地蔵菩薩と奪衣婆の像があると記されていました。地蔵菩薩と奪衣婆は見落としていたので今度登るときは注意して見つけたいと思っています。同じ項に“姥子峠は溝呂木・下箱田方面から六道辻を通って赤城山へ上る登山道”、“ここが鍬柄峠であり、渋川・敷島方面から見晴山を越えて大沼へ通じる峠である”とあります。桐生の山からは外れてしまいますが、お隣の市・村ですから、辿ってみたいと思います。
根岸晃さんの「上州の山花漫歩」にも気になっている記述があります。長くなりますが引用します。その1の前浅間の項で“昔はバスが一杯清水までしか来ていなかった。あるいは箕輪で下車させられてここまで歩かせられた。サァこれから新坂を越えてあるいはテンヤ坂を越えてと思いながら、バス停より少し下った処の一杯清水の水を飲んで体を休めたものだ。現在は一杯清水のバス停があるだけで、一杯清水の所在は判らない。前浅間はテンヤ坂を登りきって登りきった辺りから右へ岐れて登る荒山の北に連なるピークである。現在テンヤ坂を越えて地蔵岳の南腹を通り小沼へ行く途がかすかに判別できるが”とあります。箕輪の辺りにも六道の辻やらテンヤ坂やら面白そうな場所がありそうです。

2008/10/19 見晴し山の登山口が様変わりしました。上記の青い看板(下の写真)ではなく、立派な道標が立てられています。登山道も富士見村によって整備されました。山頂の手前には展望台も作られ、新坂平下からの登路、大沼の沼尻ヘの道も整備され、山頂には山名プレートも設置されました。展望台から先は白樺牧場による整備のようです。
白樺牧場内を巡る遊歩道も作られました。詳しくは句碑の道/白樺牧場遊歩道の項をご覧ください。

右下の写真は東伊豆巣雲山をめざす楚巒山楽会一行です。

一杯清水 2006/10/11 

富士見村によって、一杯清水の入口と一杯清水に道標が建てられました。新しい道標です。今まで気付かなかったのか、急に建てられたのか。赤城道路の36番のカーブの脇に真新しい道標が建っているのに気付きました。見ると探していた一杯清水入口と書いてあります。高天原の帰りに早速よってみました。駐車スペースは37番のカーブ〜38番のカーブの路肩、36番のカーブの手前にあります。雑木の中の踏み跡を進むとこれも真新しい道標の下にきれいな水が流れ出てくるパイプがありました。飲んでみるとうまい。途中水を汲みにいかれる方とすれ違ったので、ご存じの方は当然いらっしゃったんですね。富士見村は赤城山の観光によって、どことも合併しない道を進んで行くのでしょうか。新坂平下から句碑の道へ繋がる遊歩道も作っているようです。
旧料金所跡の赤城山観光案内所の係の方の話では、テンヤ坂から地獄谷への道標もあるようです。これも見つけなくては。またテンヤ坂はむかしはテンヤバ坂と呼んでいたそうです。天邪婆坂と書いて宗教的な意味合いがあったと言うことです。

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