みくらやま。『桐生及び山田郡の城趾』に“川内町棒谷戸(ぼうがいと)の東の尾根に御蔵と呼ぶ高地がある。岩沢正作氏によると「昔、城主が煙硝蔵を置いたと伝え、山頂は平坦で二つに区劃され、北麓仁田山の地域に御蔵下の地名もある。」と言う。”とあります。別名は焔硝蔵山(えんしょうぐらやま)。

白滝神社上の愛宕山から続く山神山脈の第二段。雷電山から越路、山神山を越え、御蔵山まで辿りました。雷電山までは、愛宕山の項をご覧ください。雷電山としたピークの石祠は雷電神社とは特定できなかったのですが、御蔵山までの間に他に石祠はなかったので、雷電山としました。

雷電山から先は尾根道を塞ぐ倒木と薮で、前途の多難さが予想されますが、尾根を外れなければ、薄い踏み跡が続いているので、迷うことはありません。駒形大間々線がすけて見えますし。植林帯を下ってゆくと、鞍部では明らかに尾根を乗っ越している道が認められます。これが桐生市地名考に書かれている越路(こいじ)、雷電山の上の鞍部と考えて、誤りはなさそうです。今回は御蔵山の下の峠道を御蔵下に下ったので位置の紹介しかできませんが。
越路からは雑木と、雑木混じりの植林帯の尾根歩きです。桐生市現形図に302.3mと記されているピークを山神山としました。ここら辺は同じような高まりが続いていて、頂上に石祠でもあれば判然とするのですが、石祠は発見できませんでした。
この尾根には急登、急降下の形容は必要ありません。雑木の林の中を緩く下ってゆくと左右に明瞭な道が下ってゆく鞍部に至ります。越路よりもずっと峠道らしい雰囲気なのですが、今の所名前があるのかどうかわかりません。
鞍部からも緩い登りで、明るい雑木の中を登ってゆくと平坦な場所に出ます。ここが砦のあった御蔵山の山頂のようです。二段程の段差があり、標高も345.2mとトップで引用した記述の後半にあった“標高は350mを示す”に近いものがあります。
小広い平地は雑木の疎林に覆われていますが、土居のようなものもあり、砦があったといわれれば、そんなような気もします。

鞍部に戻り、仁田山(山田川方向)側に下ります。心細かった尾根筋の道とうって変わって、立派な作業道がジグザグに山田川目指して降りてゆきます。途中からあやふやになりますが、川沿いをへずるようにして進んでゆくと墓地の脇に飛び出します。墓地からは柵にそって下ってゆくと舗道に出て山田川を跨ぐ橋を渡り、県道駒形大間々線の正一位赤城神社の前に出ます。

山神山脈の山で、愛宕山、雷電山、御蔵山は、ほぼ特定できたと思います。山神山のみ山神様の石祠が発見できなかったので、特定とは言えないのですが、だいたいこの辺というところで。

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