足利市の東の外れの山です。今回登ってみるまで、佐野の山だとばっかり思っていました。尾根続きの大小山は比較的有名ですが、西場富士だけを紹介した記録はありません。この項では西場富士よりもっとマイナーな西場観音山と駒場山を併せて紹介します。この辺りは旧富田村に属し、富田村誌によると西場富士は秋葉山と呼ばれていたようです。四等三角点の点名も秋葉山で、三角点より少し高いところに秋葉神社の石祠もあるので秋葉山が正しい呼称なのでしょうが、ここでは西場富士とします。

旧国道50号線(桐生岩舟線)を佐野方面に向かいます。栗田美術館の入口を左折、道なりに進み三柱神社の先をまた左折、大小山登山コースの道標に従って進みます。最後のT字路は右折、道なりに進むと左手に稲荷神社があります。駐車スペースは稲荷神社の駐車場か、広い路肩。鳥居を潜って真新しい石畳を登ると社叢と呼んでもいいような杉林の中に稲荷神社が鎮座しています。神社右手の立ち木に大小山を示す道標が打ち付けられています。杉林を抜けて行きます。道は民家の生け垣にそってつけられ、何種類かの生け垣を見ることができます。T字路で道標に従って左折し西場富士を目指します。明るい雑木林の中の道は尾根に出るまでは急登ですが、しっかりと刻まれています。頂上には三角点と山名標。山名標にはマジックペンで城山とも書かれていました。少し進むと秋葉神社の石祠があります。展望はありません。大小山に向かって進むと、大小山方面と北西の展望が開け雪のついた男体山が見えました。

T字路の道標まで戻って、西場百観音を目指します。相変わらず生け垣と山肌に挟まれた道です。生け垣の下には民家も見えます。再びT字路に出会います。道標はありませんが、左に登って行くと空き地に出ます。西場砦の跡です。石碑とお地蔵様。山頂の城山とはここから来ているのでしょうか。城山という字名もあるそうです。

行ったり来たりですが、引き返して生け垣の道を進みます。左手に稲岡観音堂が現れます。観音堂の上が西場百観音です。数えては見なかったのですが、西国三十三カ所、坂東三十三カ所、秩父三十四カ所の観音様ですから、併せて百ということです。
観音山へは百観音の奥の踏み跡を行きます。石祠の上の薮の中が頂上です。踏み跡は朽ち果てた公園のある龍泉寺まで続いています。

駒場山です。富田村誌では東方に突出し、駒場と西場を区切るとあります。概念図でも確かに駒場山が東に飛出しています。三柱神社の宮司さんの話では全体が駒場山で駒場山というピークはないとのことでしたが、この項では三柱神社の上の山を駒場山としました。南方に聳える和田山の記述もあるのですが、もしかしたら栗田美術館の中の山かも。
三柱神社の右奥に東屋があります。登り口はその奥からです。登り口といっても少しの間踏み跡があるだけで、踏み跡は薮の中に消えて行きます。以前は頂上は草付きで、登路もあったということですが、今はほとんど登る人もないようです。薮の薄いところを選び尾根を目指し、倒木を避けながら登ってみました。倒木は腐っているので、体重をかけると崩れます。辿り着いた頂上も倒木と薮に埋もれていました。

この項は、大小山ホームページの富田村誌をひもとくを参考にさせていただきました。

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