2009/2/25 御所山を根元山に訂正。
三たび訂正です。はじめから根元山にしておけばよかったのですが。八王子山脈縦走記の記述には“入長岡と中廣澤とを連絡する籾山峠(百九十二米)を横ぎる。行く手は篠の生えて居る急峻な上がりで此のコース中に於ける「胸つき何町」とか申すべき處である。篠に縋りながら喘ぎ喘ぎ上がれば根元山二百六十米の頂上で、正に強戸薮塚兩村境界の一角に當って居る。長岡方面で御所山といふのはこの山の事であらうか。”とありますが、すずき@東毛さんの資料渉猟により御所山は別の場所にある(あった)ことが判明しました。詳しくは上州東毛無軌道庵の「御所山 (太田市西長岡町) 〜 惟喬親王伝説の山は何処へ」をご覧ください。山名プレートも後日、架け替えます。


追分山の山名は上毛新聞社発行群馬県山岳連盟編の群馬の山2.の八王子丘陵のコースガイドに添えられた地図に載っていました。もしかして桐生で一番地味な山ではないかと。私自身も籾山峠から荒神山の紹介の項で概念図に記載していたのですが、すっかり忘れていて桐生の山紹介の項でリンクをはっていませんでした。知らずに通り過ぎるどころか書いていたのも覚えていて貰えない不遇の山です。群馬の山2.(ピリオド付きです)の記述では、籾山峠から西方の尾根に入る。最初から急な登りとなり、登り切った小ピークが追分山である。コナラの木に覆われ、ひっそりとしている。とあります。ひっそりとしすぎです。もう少し主張してくれれば、忘れなかったのに。1時間ほど時間がとれたので、追分山の頂上写真を撮りがてら、水道山、八王子山、姥沢の頭の山名プレートを取り付けに夏の涼しい一日八王子丘陵にいってきました。(この項を書くため茶臼山の項を開くまで書いていたことに気付きませんでした。歳かなぁ)

山と渓谷社発行太田ハイキングクラブ著の群馬県の山の最新版は、今までのほとんどのガイドブックなどに八王子山と書かれていた茶臼山とのジャンクションピークを、単に十字路と呼び、当ページで本家八王子山と呼んでいるピークをちゃんと八王子山と書いています。桐生山野研究会の方々のただしい名称を後世に伝えるという思いが広がっているのかしら。ただ、桐生市が設置した看板が、まだ直っていませんよ。山野研究会さん。桐生市発行のガイドブックが訂正されたからもうひとふんばりですね。

で、秋になったら付けようと思っていた山名標を涼しいのを幸い取り付けてきた次第です。八王子山の呼称問題は別項(解決編参照)を読んでいただくとして、十字路には姥沢の頭という山名標を付けてきました。仮称です。個人的には、このピークは茶臼山より落ち着いて好きなので、名前がついていたらと思います。山がつけば、十字路山でもよいのですが。八王子山には“本家付きの八王子山”、水道山にも当会の二代目のプレート。初代のプレートが無くなっていましたので。八王子山の入口にほんとにつつましく、八王子山方向を示す書き込みがありましたが、もっとわかりやすく書いてください。大丈夫あなたは正しい。

別項で、水道山の入口は薮がうるさいと書きましたが、今はすっかり下草は刈り取られ、シャベルによる刻みも付けられ、歩きやすい道になっています。地元の方の整備でしょうが、ありがたいことです。

秋になりましたら、二度と追分山を忘れることのないように山名標を付けにいきます。

2006/10/3 秋になったのですが、たびたび紹介している「毛野時報」の“八王子山脈縦走記”によれば、追分山ではなく、根元山あるいは御所山らしい。場所的にも追分になっていないし。引用すると〈入長岡と中廣澤とを連絡する籾山峠(百九十二米)を横ぎる。行く手は篠の生えて居る急峻な上がりで此のコース中に於ける「胸つき何町」とか申すべき處である。篠に縋りながら喘ぎ喘ぎ上がれば根元山二百六十米の頂上で、正に強戸薮塚兩村境界の一角に当って居る。長岡方面で御所山といふのはこの山の事であらうか。〉群馬の山2.でも籾山峠から急に登った所ということなので、同じ場所を指しているようだ。ここは追分ではないし、籾山峠も追分にはなっていないということで、御所山か根元山を採用したい。よって追分山を変更します。

下段右の写真は一の倉沢登高をはたして帰路につく、初代会長のご令息。(単独行だったらしい)

2006/10/19 御所山に山名プレート設置。
秋のうちに設置できてよかった。上の写真の追分山山頂としたいの辺りに御所山の山名プレートを設置してきました。現在、篠の生えているのはこれより先なのですが、喘ぎ喘ぎ登るのはここの手前だけなので(上記“八王子山脈縦走記”より)、とりあえず。根元山を採用しなかったのは同じ響きの根本山が他にあるので、という単純な理由からです。

楚巒山楽会は約30年前に、それぞれ別の山登りをしていたメンバーが集まり、中野区大和町などを拠点に15年ほどオールラウンドな活動をしていました。都落ちをするメンバーが相次いだので、有志のみほそぼそと山歩きをしていたのですが、10年のブランクができてしまいました。2002年に現会長が山歩きに復帰したのを機に再び楚巒山楽会としての活動をぼちぼちとしているところです。楚巒山楽会についてのお尋ねが幾つかありましたので。年齢の見当をつけられてしまうので、この辺ぼかしておきたかったのですが。会長と代表幹事は若い者(自称)です。

右下の写真は、丹沢新茅の沢 特別顧問、会長、代表幹事です。

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