あっる〜日(あるひ)、もっりの中(もりのなか)、くまさんに(くまさんに)、であぁった

というわけで、くまさんに出会ってしまった私です。お仕事がたてこんで半月程山歩きのできない日が続いたので、近くの山をお散歩してこようと、ペットボトルのお茶とデジタルカメラを持って、もちろんサンダル履きで、どうせなら西方寺沢の水源の鍾乳洞でも見てくるかと、ウイークデイの昼下がり、ご発注元の目を盗んで、軽〜い気持ちで出かけたのでした。

西方寺沢の水で、ネット検索をすると、トライされた方は水源までは行きつけなかったと書かれていたので、地元の私としては是非たどり着こうと、梅田公民館で手に入れた地図を片手に徒歩で出かけました。地図はB4版のザラ紙に梅田地区の5カ所の名水が記載されたもので、おそらく平成7年度に作られたものです。(名水標識の設置が平成7年になっていたので多分)概念図の下の地図は文字を打ち直し、線も引き直したので見やすくはなりましたが、雰囲気はそのままです。これじゃあ桐生の人間が見てもわかんないよなぁ。たどり着けなかった方たちは梅田公民館で配付したこの地図を頼りに向かったそうで、よく皆さん遭難もせず、ご無事で何よりでした。

で、私はといいますと、辿り着けませんでした。作業道は錯綜していましたが、道なんか間違えてません(と思います)。ちゃ〜んと西方寺沢にそって遡行しました。何本か涸沢がありましたが、水の流れている沢をを辿ってどこまでも、それはそれはどこまでも辿りました。最終到達地点の辺りで水がしみ出した草付きになり、サンダル履きの足元が濡れてきても辿りました。

その薮の奥の方で、大きな音がして、黒いもこもこしたものが斜面を駆け上がって行ったのですよ。くまさんであったとは確言できないのですが、まあ今日はこの位にしておいてやろうと、靴下も濡れちゃったことだし。
名水まで30分標識の所で動物の骨らしきものを見ちゃったし、道を過るキツネさんのシッポも見ちゃったし、今日はここまででいいと、帰ってお仕事もしなくちゃいけないし、水源を見つけるのは、くまさんが眠ってからにしよう。

熊に出会ったのは二度目です。何年か前に菱の山で会った時は、はっきりと確認できました。先方も私に気付いて道を避けてくれ、私も来た道を戻りました。今回はお散歩気分だったので、熊よけの鈴も持たずに出かけてしまい反省しています。こちらが彼らの縄張りに入って行くのですから。せっかく水をのみに沢に降りてきたところを驚かせてしまったようです。“すみませんねぇ、ちょっと通らせてもらいますよ”という気持ちをあらわすためにも、この時期の山歩きには鈴は必携でした。

公民館の説明の桐生大炊助は、きりゅうおおいのすけと読みます。戦国時代後期の桐生城主で、桐生氏の最盛期を築いたといわれています。

ご紹介は名水標識の所までということで、水源までたどり着いたら、改めてご紹介します。桐生田沼線を北上し、桐生女子高の信号の先右手にカインズホームのあるT字路で左折。道なりに進むと左に土砂の採取場があります。その先左手に奥にイノシシの罠のある広場があり、駐車可能です。
少し進むと、岡平山神宮と林道岡平線の起点に出会い、林道を進みます。林道は何度か左にカーブしますが、舗装のきれた地点で右に入る作業道があります。傾いた木の柱があり、名水まで30分と書かれています。


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