菱町の住人さんこと、桐生山野研究会のhisiyamaさんから貴重な資料をいただきました。
楚巒山楽会の力では登ることのできないような山があります。
初めて聞く山もあります。hisiyamaさんの了解を得て、当会のページで紹介します。
桐生山野研究会は、四半世紀以上前から、精力的に桐生周辺の山を登っています。
その蓄積の一部なりとも紹介できればと思います。
タイトルの写真、本文の写真ともhisiyamaさんの撮影です。
撮影地点は梅田と川内の界、金沢峠より北、三峰山との中間地点から菱の山を俯瞰したもの
以下の文章は、hisiyamaさんがお書きになったものですが、若干の訂正と、段落付けは楚巒山楽会代表幹事が行なっています。

仙人ケ岳周辺の山

高戸山(たかどさん)
 高戸山は梅田町の山だが仙人ケ岳や塩の瀬の山とも山脈がつながっているので記してみた。高戸山は山頂に山神宮がある。傍らに三等三角点(基準点)があり、点名は高倉山という。ハッキリとした道はなく、地図と磁石で歩く人向けの山。
 穴切の入口あたりから主尾根にとっつき、登ると桐生市基準点No.118がある。この付近より山頂近くまで初春は桐生の山でマンサクが一番良いだろう。
 春、皆沢から入山し梅田ダムの皆沢側へ下山するとヤシオツツジの大歓迎がある。また、穴切峠から入山して戻るのも良いが、あまり花は期待できない。
 下山を穴切峠にすると迷いやすいので要注意。峠にも赤い鳥居と山神宮があるのでこれを確認したら林道へ下る。林道へ出る直前に百庚申がある。
 この山域は地図と磁石の読めない人や勘のない人は経験者と一緒に登ること。

穴切峠(あなぎれとうげ)
 穴切の林道の終点が穴切峠への登り口。その昔この辺は峠の屋敷と呼び人家が二、三戸あったといわれ、飛駒方面への往来が多かったといわれている。百庚申の下を右に巻いていけば峠にいける。最近材木出しがあったので多少道が変わっているかも…。
 なお、百庚申手前の右(南)から来ている沢沿いに行けば松田の野山林道へ出る。稜線上には製鉄遺跡もある。
 薮山が得意でない人は経験者と一緒に行くこと。

多高山(たこうさん)
 田沼町(現栃木県佐野市)の山で昔は信仰の山だった。展望は良い。

原仁田ノ頭(はらにたのあたま)
 その昔松田の奥、野山林道と湯の沢林道とタカノス林道の合流付近に原仁田という集落があったといわれる。朝日沢山(仙人ケ岳)を西に東を赤雪(アケキ)山、北を原仁田の頭にはさまれた地形の所にあった桃源郷で、その地名をつけたJP(ジャンクションピーク)だ。
 二、三十年前は桐生周辺の山は何処へ行っても桐生倶楽部歩く会の標識があり、正確で快適な山歩きができたが、最近では殆ど見かけなくなった。ここ原仁田や穴切峠にも無論あった。
 なお、穴切峠へ下る場合は峠の直前が迷いやすいので要注意。


神楽場
(かぐらば)
 神楽場とは下野国地誌編材料取調書には「松田村界ニ至ッテ稍聳立ツ之ヲ神楽場ト名ク古俗此所ニ於テ晴日ニ際シテ天狗集合シテ、笙ヲ吹キ鼓ヲ鼓シ舞ヲナセリト云フ因テ以テ神楽場山神ト称ス頗ル峻険ナリ」(みやま文庫より引用)とある。
 このピークには大正十三年中沢家と彫られたコンクリート製の石宮がある。以前、私が皆沢の中川から寺沢へ行く山中で中沢家の御子孫の方に出会い、お話を聞きこの地点が神楽場であることを確認した。


紹石山神
(仮称ツナギイシサンジン)
 紹石山神は塩の宮神社から峯一山神そして仙ケ沢(前仙人)へ続く稜線上にある。山神の傍らにはツナギ石という奇岩があり、断崖絶壁の上にチョット押せば落ちるように見える巨岩がある。不思議な岩だ。是非一見の価値ありと思う。以前私が現地菱町五丁目や山仕事をする方から聞き取ったのでは、殆どの方はツナギ石といわれ。一人だけ逆さ岩という方がいた。
 文字については、「継」の文字といわれたが祠に彫られている「紹」の文字にした。紹は「継ぐなり」と字統(白川静著)にあるので敢えて使ってみた。
 なお、地誌取調書に「奇巌アリ直立五丈許路上ニ突出シテ恰モ櫓頭ノ如シ名テ館石ト云フ」と記載のある館石が紹石と思う。どなたかお知りの方がありましたらご教示ください。紹の文字もご教示ください。

仙人ヶ岳(せんにんがたけ 朝日沢山あさひさわやま)
 仙人ケ岳は菱町の中心の山で、この山から派生している山脈や尾根があり、自然が豊かなのは、この山のお陰である。上菱村では朝日沢山で、黒川では仙人ケ岳という。菱町に殆ど山域のある山も今では全国的には足利市の山となっている。これは桐生から登るルートがハッキリしないこと、登山口に駐車場のないこと、標識が無いことなどがあげられると思う。もっともっと桐生の人は菱からこの山に登ろう。この山の主峰には三等三角点が埋設されており基準点名は朝日岳という。
 明治34年5月に設置された基準点の所在地は菱町上菱朝日沢927-3番地だから三角点標識も山体の殆どが桐生市に属しているのに他所の市の山として宣伝されるのは、桐生市民にとっても菱町民にとっても非常に非運の山だ。これは町民や市民だけでなく行政の方でも動く必要があると思う。(隣の足利市のように)
 此処で三角点や基準点について書いてみよう。三角点は山の一番高い所にあるとは限らず、測量のしやすい所に設定されている。一等三角点本点、一等三角点補点、二等三角点、三等三角点、四等三角点とあり、一、二、三等点は関東地方では明治時代に完了している。四等三角点は昭和30年代から設置された。旧陸測(陸軍参謀本部陸地測量部の略)や国土地理院では一般的に使われる山名を使わず、山の麓にある小字などを点名としている。仙人ケ岳もすでに慣例となっているので菱五丁目の方達は残念と思う。
 桐生市も昭和50年前後、三角点を補うために市内の各所に桐生市基準点を埋設した。146カ所設置された。ビルの上や河川の堤防や山の中などにもある。因にNo.1が浜松町の市営住宅の屋上、No.2が城の岡団地の水道タンクの傍ら、No.3が菱小友の桂山になどなど、設置してある。山の中で発見したら地図に書き込んでおけば楽しみが増えるだろう。(中には市外に設置されているのもある)
 さて、この山に登るのにはいくつかのルートがあるがハッキリとした道のあるのは塩の宮神社からだ。泉龍院からもいけるが、多少山の勘の良い人向けだろう。白葉峠からも地図と磁石の読める人向けだ。小松橋の東側の山(小松山か雨降山?)から登るのも道はない。上菱の八幡宮から登るのも道はない。浄水場先のテレビアンテナのある山から登っても道はない。やはり簡単なのは一色の東の入林道をつめて杉林を強引に登のが良い。ここは踏み跡がハッキリしているので簡単に稜線に出られる。稜線へ出たら右(東)の方へ行くと30分位で山頂だ。左(西)へ行くと15分位で仙ケ沢(前仙人)の山頂だ。桐生の人は小俣から登らず桐生から登ろう。


楚巒山楽会の注記
穴切峠の項で調査報告の資料をいただきました。

桐生地質の会ニュースNo.2からの抜粋です。
 調査の結果は、どうやらマンガン鉱が露出したもの。マンガンなので酸化した外見や重さが鉄と間違いやすい。マンガン鉱の分布も2〜3mで、ちょうど製鉄炉くらいの大きさになるので、間違いやすい。来る途中、3か所にマンガン採掘跡があったが、尾根上にマンガン鉱が露出しているのは珍しいことである。
 泥岩は、走行にほぼ直角に歩いたはずなのに、みごとな連続露頭でかなり厚いようだ。泥岩の岩質は、下流側はやや剥離性もあり頁岩と呼んでもよさそうだが、上流へ行くにしたがって、やや凝灰質になったり、砂質ぽくなっている。小規模だがこの泥岩層中で、道路下の沢に石灰岩があり、小さな小さな鍾乳洞とポットホールがあった。
まる●
まる
まる

仙ケ沢(せんがさわ 前仙人ケ岳)
 山頂に何故「仙ケ沢」なんだろうと思われる。地元の人はこの山を仙ケ沢と呼んでいる。山仕事をしている人から前仙人などと何故つけたのかと聞かれた。前、頭、肩などはアルプスの山用語であって、群馬の山には馴染めない山用語だ。この桐生でも戦後の登山ブームで他所の山用語が根付いてしまった。これは全国的でどこの山へいっても前、頭、肩などは通用する。
 さて、前仙人に登るのは一色東の入林道をつめて杉林の急な坂を登り稜線へ出たら左(西)へ行くと間もなくだ。山頂には四等三角点があり、点名は黒川だ。
 この山頂から北へ行くと塩の宮神社へ出る。西に行くと泉龍院へ出るが、下りは間違えやすいので要注意。オオクボのコブから下り、平になった辺りが間違いやすい。南へ行くと唐沢山の尾根に行くのでもし唐沢尾根の方へいってしまったら降りてみよう。あの大きな山域を持つ仙人ケ岳中で最高の展望所に出る。そこは東の入オオクボの作業道と西の入堂平から来る作業道の合わさるところでどちらへいっても一色の東西橋へ出る。

基準点名一色(いっしき 小友沢の頭 おともざわのあたま)
 このピークは小友で一番高い山である。小友西の入りからは最後が急登なので、一色のハイキングコースから行けば良いが、展望台を越してからいくらか道らしい踏み跡もあるがそのうち消えてしまう。道を見失って一色側のタカノス沢などへおりないようにしよう。急なので要注意だ。基準点名をつけたのは山名が判らないので国土地理院の点名を使った。
 山へいってもなかなか山の名前は無いものだ。山の名前が判らなくても沢の名前は生活に直結していたので大概、沢名はある。山名は戦後からの山ブームですぐ山名山名といわれる。ここは標高528.38mだ。
 ここへいっても展望も無い。静かなのがとりえの山だ。まあ猪や熊にあわないように鈴やラジオをならして歩こう。熊を絶滅させないためにも。あなたが熊に怪我を負わされれば熊は有害鳥獣の名目で殺される。自然を残すためにも自分は自分で守ろう。

松田深高山(しんこうさん)
叶花(かのうげ)基準点
 ここは二等三角点があり、最近ではここが石尊山の頂上だと思ってるのか標識がある。まあ足利の山だから良いだろう。

石尊山(せきそんさん)
 山頂はお宮の平地で夏の暑い時、梵天祭りをする地点だ。

高萩山(たかはぎやま)
 白葉峠から登ればすぐだ。ただ判然とした道は無いと思う。
 ここは四等三角点376.58m。点名は白葉。

小丸山(こまるやま)
 金葛と祖父ケ入(じいがいり)の中間にある山。その昔は狼煙場(のろしば)だったと聞く。

金葛(かなくず)
 ここは公園の造成中だ。

白葉峠(しらっぱとうげ)
 以前は山道だったが、25年位前に車も通行できるようになった。峠には白羽大明神が祀ってある。

湯殿山(ゆどのさん)
 小俣彦谷 出羽三山を祀る。


寝釈迦(ねしゃか)
 泉龍院の裏山に立派な寝釈迦が3年ほど前にまつられた。
 なお、ここは中尾根の山頂で三等三角点があり、点名は一色山。標高は289.96m。

御嶽山(姥穴山うばなやま 障子山)
 小友側の山頂付近に姥穴という岩穴があり、それで付いたともいわれる。障子山については不明だ。地誌取調書には御岳山とある。文久二年に御嶽が勧請されてから御嶽山となったようだ。小俣の濁沼の大川家四代繁右衛門があげたとされる。山頂には御嶽山と彫られた祠と御嶽座王大権現の石像がある。ここは標高380.2m、御嶽山を桐生市街地の見える方へ行くと桐生市基準点No.82がある。ここは標高371.83mだ。

観音山(かんのんやま)
 普門寺に藁干観音があるので付いたとされる。

雷電山(らいでんやま)
 山頂に雷電様が祀ってある。祠の傍らには以前は大きな松の木があったのだが、松くい虫で枯れて倒れてからどうなったのやら。三代目の松の木を植えたのか最近行ってないので不明だ。

桂山(かつらやま)
 桐生菱の郷土史では柱山とあるが、桐生市地名考(島田一郎著)では桂山とある。山頂には桐生市基準点No.3があり、標高は278.46mだ。

ガッチン山(八幡山)
 最近はガッチン山が通称のようだ。

雨乞山(あまごいやま)
 山頂に雨降山(あぶりさん)の祠がある。登るには小沼橋のたもと、鉄塔の巡視路から入れば簡単だ。

琴平山(こんぴらさん)
 山に琴平宮が祀ってある。芳ケ入の入口付近から登れば簡単だ。展望は良い。

太田金山(かなやま)
 太田市の名山。山頂には新田神社があり、チョット下がった所に二等三角点基準点がある。

浅間山(せんげんやま)
 山頂に浅間神社の石宮がある。祭神は木花開那姫命。その昔桐生氏全盛の頃、物見山砦や丸山砦、今井宿砦などと同じ砦があったという。展望は良い。登路は何本かあるが入口が分りにくい。山の腰からとか城の岡団地前の畑を通りとか桐生川側からもあるが、分りにくいから地元の人に聞かれるのが良い。
 前浅間へ行くと戦前に設置したものだろうが、栃木県と彫られた御影石でできたきれいな標識がある。
 なお、山頂には三等三角点標高172.4mがある。点名は宿島。


以上は山のガイドではありません。行く時は事前に研究するか経験者と行くこと。 作&責 hisiyama

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