桐生山野研究会

八王子丘陵(広沢丘陵)

桐生みどり 

 八王子丘陵は山田郡誌では廣澤丘陵とし、次のように記されている。

 廣澤丘陵一名八王子山脈と稱す。本郡廣澤村毛里田村と新田郡笠懸村、藪塚本町、強戸村との間に蜿蜒する低丘陵なり。(中略)この丘陵の最高點は茶臼山にして高距二九三・九米、これに次ぐは二六一米の唐澤山なり。分水嶺は大抵二百米内外にして、廣澤村大字廣澤字b明より毛里田村大字吉澤字萩原に至る約十粁の間五條の峠あり。

 そして、黒石峠、八王子峠(姥澤峠)、籾山峠、菅鹽峠、唐澤峠の名を列挙している。
 広沢側では通称広沢山、藪塚側では通称藪塚山と呼ばれていたが、正式には広沢丘陵となっている。地理や地質の書物では八王子丘陵と表記されるが、地元では八王子丘陵とは呼んでおらず、広沢丘陵が一般的であった。
 また、丘陵ではなく八王子山脈が正しいと主張する人もいる。日本では概ね三百b以下程度の山地を丘陵といい、最高峰の茶臼山(294b)の標高を考えると山脈は大袈裟過ぎる。私は長らく丘陵を「丘稜」と思い込んでおり、丘のような稜線の連なりという意味だと理解していた。文章作成中に文字変換すると決まって「丘陵」に変換されるので変換誤りと思い込んで訂正していたが、疑問に思って辞書で確認したところ、私の思い込みであることが判った。陵の訓読みはみささぎで、陵墓という熟語もあり、墓所を意味する。要するに丘陵は丘や古墳のような高まりが連なっている地形である。丘陵を山脈に至らない低い山の連なりだと考えると墓の陵ではなく、稜線の稜を使用する「丘稜」が相応しいと思う。
 以前は茶臼山周辺を除いて殆ど道がなく、大半が藪に覆われていたが、近年低山歩きが盛んになってあちこちで道が整備され、籾山峠以北は道が四通八達している。この山域の道と信仰・歴史・民俗を仔細に記述すれば1冊の書物になるだろう。地質的には足尾山地と同じ中・古生代の堆積層、新生代古第三紀の火山活動に伴う溶結凝灰岩層、新生代新第三紀の湯ノ入凝灰岩層などからなる。

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八王子丘陵概念図

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茶臼山絵地図(ふじながじゅんこ作図)
注 茶臼山分岐に八王子山とありますが、八王子山はここより南(下)側です。

 八王子丘陵縦走 荒神山から石尊(唐沢)山
 初めにこの丘陵の縦走を取り上げる。南端部がゴルフ場になってしまったので、主稜線の縦走として北端の荒神山から石尊山(唐沢山)まで歩く人が多い。
 笠懸東小学校南側の跨線橋分岐付近に荒神山登山口がある。歩き始めてすぐ急斜面を固定ロープ伝いに登る道と迂回する道に分かれ、いずれかを登ってしばらく行くと荒神山に着く。最近整備された荒神様の石祠とベンチがある。以前はここから茶臼山分岐まで藪の踏跡だったが、今は立派な道が整備されている。背丈を遥かに超す篠藪帯は幅広く刈ってあり、トンネルの中を行くようだ。黒石峠手前の小さな岩に石祠があり、付近には古い石塔がある。石祠には「藪塚村上原中 明治九(1876)年四月吉日」、石塔は「奉納御寶前 藪塚村 寛政四(1792年)□□四月」と刻まれている。
 茶臼山分岐(仮称姥沢の頭)から最高点の茶臼山往復は20分ほどだ。山頂には電波塔が林立しており、傍らに三基の石祠が祀られている。樹木がないので四方の展望が開けている。戻って分岐から南下するとすぐ八王子山に着く。古井戸と石塔があり、山田郡誌には次のように記載されている。

 茶臼山の南微東約五百米、郡界に近き小峯なり、高さ二六〇米、峯上小平地をなし、林藪の中に石宮一祠及方柱石碑二基を存す。石宮蓋し八王子祠なるべし。

 石碑は八王子の文字塔で上部に日月の模様があり、「八王子 周藤位九衛門 空風火水地 元禄十六(1703)癸未歳四月十一日」の記銘があり、三百年ほど前のものである。郡誌の記述にある八王子の石宮はなく、台石だけが残っている。もう一つの石塔は修行の記念碑で「籠山千日満行所 文化十四(1817)丁丑歳天社神道大内蔵之進」と記銘があり、「千はやふる神も願のあるものを逢ふそうれしき(読人知らず)」の和歌が添えられている
 ここから下った鞍部が八王子峠(姥沢峠)で大きな自然石の庚申塔があり、「萬延庚申(1860)十二月荻野氏」と記されている。名字から広沢側の人が奉納したものだと判る。この峠は姥沢峠と呼ばれることが多いが、八王子山の奥宮と広沢側に下った八王子神社里宮を結ぶ道なので八王子峠の方が相応しい名前だと思う。上野国郡村誌によると姥沢は山腹に馬場跡があったことから馬場沢と称し、馬場沢が転じて姥沢になったと記載されている。
 275b標高点(根元山)を過ぎて下ると籾山峠の旧道に出る。旧道を太田側に下りた所から県道の対岸に道が付いている。籾山峠以南は道がなかったが、最近地元の有志によって整備された。以前は篠藪の登りだったが、刈り払いされて立派な道になっている。急な登りを終えると稜線伝いに小さな登り下りを繰り返す。
 天王山分岐から天王山を往復したが、鞍部まで菅塩沼の公園から遊歩道ができていた。こんなところまで遊歩道を整備してどんな意味があるのだろう。天王山の登りは短いが、急斜面になっている。山頂には四等三角点がある。戻って分岐から下り切った鞍部が峠になっている。地形図にある道だが、ここは菅塩峠ではない。ここから広沢側に下れば賀茂神社まで30分ほどである。2〜3分下って沢伝いの道に出て左に行けば神籠石に行ける。この峠道は神籠(かわご)石を経由して賀茂神社に向かう道だったのかもしれない。峠名が分からないので「やまの町 桐生」開設者の故Kさんは仮称神籠石峠と呼んでいた。
 峠から稜線伝いに登って登り切った地点から稜線を西に2〜3分道を行くと鳥居と石宮がある。鳥居の扁額には日向山二柱神社とあり、石祠が二つ祀られていることから祭神が二つで二柱神社なのだと分かる。この神社は鳥居の向きから菅塩の人たちによって祀られていることが分かる。向かって右の石祠には「宝永八(1711)卯二月 □□村」とあり、左の石祠には「寛政五(1793)天己三月吉日 願主村中」とある。石造りの立派な鳥居は昭和三十(1955)年十月三十一日の奉納である。ここからそのまま道を菅塩方面に下ると10分とかからず菅塩峠道の分岐に下れる。分岐には四阿が整備されており、右の林道を辿ると仮称神籠石峠、左の林道を辿ると菅塩峠に登る。いずれも稜線直下まで車が入れそうな広い道である。
 戻って稜線伝いに行き、左に急斜面を下った鞍部が菅塩峠である。古い道路の切り通しになっている。山田郡誌によればこの切り通しは洪積層の礫層で昭和十年の道路改修によるものだという。ここから広沢側に下って賀茂神社に行くこともできるが、道は殆ど残っていない。
 峠から稜線伝いに登ると236bの突起になる。ここは高壷山、西浜山と過去の記録に書いてあるが、高壷山が正しいらしい。人によっては西高壷山と呼んでいる。ここから先は尾根のつながりが判り難いが、目印が付いているのでそれを頼りに行けば迷うことはないだろう。登り詰めると石尊山(261b)に着く。山頂には石尊宮の石祠と一等三角点の標石がある。石尊山は点名の唐沢山が地形図に記載されて以来、唐沢山と呼ぶ人が多い。明治初期の上野国郡村誌吉澤村及び山田郡誌では唐澤山と記載されている。石尊山と唐澤山は必ずしも同一ではなく、石尊山はこの山を指し、唐澤山は廣澤山のように辺り一帯の総称だと私は考えている。最近、天王山付近から遊歩道が石尊山まで整備され、山頂に四阿まで造られたと聞いたが、無駄使い以外の何物でもない。
 ここから東に下ると道が分岐し、左に行けば東沢寺、右は唐沢の集落に下れる。右に少し行くと小さな岩場があり、石祠が祀られている。石祠には「唐沢 願主小堀政五郎 明治四十一(1908)年三月吉日」と刻まれている。ここは通称とりでん様と呼ばれている。石祠からまっすぐ尾根伝いに下り、左に斜面を下ると沢伝いの道になる。林道に合流して右の林道を少し行くと右の斜面に堂宇に入った不動尊がある。表面が磨り減って造立年代不詳である。石尊山の本尊は不動尊なので、昔はここが登山口だったのだろう。戻って新堀川沿いに林道を下れば唐沢の集落に着く。
 この縦走には公共交通機関の利用が可能であり、東武線の阿左美駅を起点に終点の唐沢から一本木会館まで歩き、おりひめバスで新桐生駅又は桐生駅に出ることができる。

 東小学校(15分)荒神山(40分)茶臼山分岐(20分)茶臼山往復(30分)籾山峠(40分)天王山分岐(15分)天王山往復(20分)菅塩峠(30分)石尊山(30分)唐沢

 茶臼山
 八王子丘陵の最高点である茶臼山については上野国郡村誌及び山田郡誌双方に掲載されており、山田郡誌には以下のように記載されている。

 廣澤村中廣澤の西南方に屹立す、高さ二九三.九米、八王子山脈中の主峯たり、山體は石英斑岩より成り樹木鬱蒼その麓を圍む。廣澤方面よりするもの登路二條、一は字古庭より、一は字足垂よりす。前者は易にして遠く、後者は嶮にして近し。(中略)山上に茶臼山壘址あり、西南部の中腹に岩洞あり鑛物試掘の跡なり。

 上野国郡村誌廣澤村では古跡の項に次のように記載されている

 茶臼山 村ノ西方茶臼山ニアリ、其形茶臼ニ似タルヲ以テ名ク、上平坦方五百七十七坪ハカリ、廃塹猶存ス 

 茶臼山は物見番所の跡で山城の形状が山頂部の地形として残っている。「上野国誌」には「金山より遠見の番を居く地なり」と記されている。広沢側からは整備されている道だけで4本の登路がある。山田郡誌にある古庭から登る道が現在の一木口、同じく足垂から登る道が大雄院口であり、八王子神社を経由する姥沢口、宝珠院から八王子山を経由する宝珠院口がある。先の三つは直接山頂に至るので30分程度、宝珠院口は八王子(姥沢)峠・八王子山を経由するので1時間近くを要する。

 一木口 登山口(30分)茶臼山
 宝珠院口 登山口(40分)八王子峠(15分)茶臼山
 姥沢口  姥沢入口(10分)八王子神社(30分)茶臼山
 大雄院口 大雄院(30分)茶臼山

 藪塚側からは東毛青少年自然の家を起点に5本の登路が整備されている。三本松に登る道、立岩を経由して茶臼山分岐に登る道、不整合を経由して八王子峠北に登る道がある。堆積層の上に湯ノ入凝灰岩層が不整合に覆っている箇所はこの丘陵の生い立ちを知るうえで参考になるので立ち寄ることを勧める。藪塚石を採掘していた石切場を経由して八王子峠南に登る道は石切り場の断崖が迫力があり、見逃せない。勝負沼から十一面観音、石尊宮を経由して八王子峠と籾山峠間に登る道もある。いずれの道も20〜30分で稜線に出られる。

 稜線への道
 そのほか一木口の車道終点近く右に分岐する道を行き、南に登って茶臼山分岐の北鞍部に至る道がある。杉林の下にカタクリが群生し、早春には花が美しい。
 また、同じ起点から左に電波中継所への送電線沿いの道を登ると鉱物試掘跡の洞窟を経て山頂直下に出ることができる。この洞窟は昔の子供たちには恰好の探検ごっこの場所だったが、今は子供だけで山に出かけることなど考えられない。
 道は整備されていないが、雷電山を経由して尾根伝いに黒石峠のすぐ南に出ることもできる。雷電山には岡の上団地東側尾根の末端から参道を登る。雷電山には二つの石祠が並んでおり、「寛政三(1791)年亥九月吉日 願主石原定右エ門」「寛政八(1796)年辰六月吉日 神明石原氏」の銘文があり、昔から雷電信仰があったことが分かる。少し離れた場所に大きな石祠があるが、銘文は刻まれていない。
 そのほか南高校付近から立派に整備された送電線巡視路を登って寺の上貯水池(通称三角沼)を経由して荒神山のすぐ南に出る道がある。岡の上団地の最上部にある水道施設から黒石峠に登る峠道は良く整備されている。

 黒石峠 岡の上団地最上部(20分)黒石峠
 送電線巡視路 寺の上貯水池(15分)稜線
 雷電山 参道入口(5分)雷電山(20分)稜線

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八王子丘陵(吾妻山から) 荒神山山頂
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茶臼山の石祠 八王子峠
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八王子山石碑 日向山二柱神社
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石尊(唐沢)山頂上 山頂近くの石尊宮
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唐沢の不動尊 鉱物試掘の洞窟
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雷電山の石祠 神籠石

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