桐生山野研究会

高戸山・多高山・赤雪山

桐生みどり 

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高戸山概念図

 高戸山

 仙人ヶ岳北方の高戸山(625b)は地形図に山名の記載がなく、地元以外では殆ど知られていない。安永4(1775)年の高山彦九郎の紀行「忍山湯旅の記」に「せり石の前なる高戸山も辰巳に高く見ゆ」と記され、忍山温泉との位置関係から現在の高戸山(たかどやま)であることは明らかである。頂には高戸山神と呼ばれる石祠が祀られている。はっきりした道はないが、主な登路として穴切集落から東に尾根を登るものと仙人ヶ岳の北にある穴切峠から稜線伝いに行くものがある。

 穴切集落から高戸山
 穴切集落の墓地裏から斜面に取り付く。まもなく作業道を横断するが、ここまでは集落の東から分岐する作業道を辿ってもよい。最初は藪混じりの急な斜面であるが、少し登ると尾根上に出る。尾根上には僅かな踏跡があり、やがて453bの突起を越える。ここには桐生市基準点が設置されている。明瞭な尾根上の踏跡を辿れば山頂に着く。山頂の石祠は弘化二(1845)年三月吉日の造立で周辺4ヶ村の名が刻まれている。下りは間違い易いので方位を確認しながら尾根を忠実に辿るようにしたい。

 穴切(1時間)山頂(50分)穴切

 穴切峠から高戸山
 穴切橋から穴切沢沿いの林道を歩く。林道は狭く方向転換が難しいので車で入らない方が無難である。周囲は杉の造林であるが、穴切沢は岩盤が露出して小滝がところどころかかり、美しい流れを見せている。林道終点で沢が二つに分岐し、左の沢沿いに付いている作業道を行く。この辺りは昔、峠の屋敷と呼ばれ、人家が2、3件あったという。その先で左に作業道が分岐する。穴切峠へは左の作業道を行く。作業道は山腹を電光形に登っている。この先さらに作業道が分岐するが、高い方を選ぶ。やがて道端に地蔵菩薩二体と如意輪観音が祀られている。一見、峠道に祀られた石仏と思うかもしれないが、これは墓標であり、このうちの一つには明和七(1770年)天と刻まれている。このような山奥に墓地があるのが不思議だが、昔はこの付近に峠越えの茶屋があったという。付近にはお茶の木が自生しており、茶屋で供するために植えたのだろう。すぐ先で作業道が終わって峠道になるとひと登りで峠に着く。峠には山神の石祠と鳥居があり、傍らには御神木のような榊の大木がある。山神は山仕事の安全を願って祀られたものである。峠付近は檜の造林地で薄暗い。そのまま尾根を北上すると雑木林になり、行く手には高戸山が望まれる。高戸山の南鞍部に下って突起を越えると石祠のある山頂に着く。

 穴切(40分)林道終点(30分)穴切峠(40分)高戸山

 穴切峠と老越路
 桐生と飛駒を結ぶ道は二つの峠を越えている。上菱から穴切峠を越えて皆沢に出て川沿いの道を辿り、老越路(おいのこうじ)を越える。越路は峠又は峠道を指し、周辺では氷室山にこうじ館の地名があり、葛生には古越路がある。谷川岳周辺には越路(こしじ)があり、いずれも峠と同義である。皆沢までは桐生川上流の落合橋を渡って皆沢川沿いに行く道もあった。現在は桐生川ダム建設により梅田湖沿いに付け替えられ、県道桐生田沼線となっている。この峠道は戦国時代には佐野氏が支配していた桐生城と本家の佐野唐沢城を結ぶ主要道であり、近世は商人の通う道であった。
 皆沢側から穴切峠へは県境付近にある石工場脇から林道に入り、奥の分岐を右に入る。右の林道は荒れているので車で入る場合は分岐付近に駐車し たほうがよい。林道終点のすぐ手前から左に踏跡を登ると数分で峠に出る。

 皆沢林道入口(40分)穴切峠(30分)皆沢林道入口

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多高山・赤雪山概念図

 多高山

 多高山(608b)は梅田と飛駒を結ぶ老越路の北にあり、行政的には栃木県側であるが、地形的には老越路の稜線が県境に感じるので桐生の山のような気がする。飛駒からは鳶が翼を広げた姿に見える。登路は老越路から北に尾根伝いに登るか、ゴルフ場(足利カントリークラブ)から尾根伝いに登る。

 老越路から多高山周回
 老越路から多高山(たこうさん)に登ってゴルフ場に下り、歩道を歩いて周回することができる。峠から登山道に入るとすぐ石造物群が祀られている。石祠の設置状況からここが昔の峠と考えられる。立派な馬頭観音の刻造塔があり、「下野國安蘇郡佐野飛駒邑」と記されている。その他「根本山神 本村講中」、「峠山神」と刻まれた石塔などがある。その上には明治六癸酉年三月吉日と記された石祠がある。この石祠は根本山神と思われる。ここから一気に高度を稼いで尾根を登り、大きな露岩を巻くとまもなく山頂に着く。山頂には「天明元(1781)年七月吉日 寺沢邑」と記された奉納塔と壊れた石祠がある。山頂のすぐ北側にも石祠と奉納塔があり、奉納塔には「奉納御寶前 天明元辛歳丑七月吉日」と記され、石祠の前には大天狗と刻まれた石がある。この石祠が大天狗なら山頂の壊れた石祠は小天狗であろう。
 山頂から飛駒方面に向かうとすぐ岩場の下に石祠と石灯篭が祀られている。造立年は記されていない。この下は足場の悪い岩場になっており、慎重に下る。下り切った平に不動尊が祀られているが、上部が破損しているのが残念だ。この先は明瞭な尾根通しの道を下るとクラブハウスが現れ、境界の柵沿いに南に回り込むとはっきりした道が現れる。山腹に付けられたしっかりした道形を辿ると車道に出る。この道は老越路の旧道ではなく、仕事道のようだ。老越路の旧道は現在の県道沿いである。車道を10分ほど登れば峠に戻れる。

 老越路(30分)山頂(40分)ゴルフ場(30分)老越路 
 山頂(20分)老越路

 赤雪山

 赤雪山(621b)は仙人ヶ岳から東に派生する稜線上の栃木県側にあるが、仙人ヶ岳から縦走できるので桐生の山と思っている人が多い。赤雪 山(あけきやま)の由来については平安末期の武将足利忠綱がこの地で討ち取られ、雪が血で赤く染まったという伝説がある。足利忠綱は平将門を滅ぼした藤原秀郷の子孫で宇治川の合戦において平氏側で源頼政と戦い、急流の宇治川を渡って先陣一番乗りをして勇名を馳せた。その後、源平の勢力争いの中で忠綱の父俊綱は源頼朝から討伐の対象とされて郎党の桐生六郎に殺害されたが、忠綱はその前に西海に逃れたとされている。伝説によれば平氏滅亡後、忠綱は故郷に戻ったが、疑いを受けて追われ、皆沢で悲劇的な最期を遂げたという。その霊を慰めるため建てられたのが皆沢八幡宮と伝えられ、忠綱明神とも称されている。この伝説は史実と言い難く、桐生六郎に殺された父足利俊綱と混同している。「あけき」に赤雪と当て字されたことから忠綱伝説と結び付けた物語を創作したものと思われる。「あけき」の語源は分からない。足利市第二の高峰なので道はよく整備されており、山頂には東屋が建てられている。登山道は松田湖から2本、長石林道の峠からの道と合わせて3つある。

 松田湖から赤雪山周回
 松田湖から沢伝いの道を山頂に登って尾根伝いに周回できる。湖畔の道と分かれて急な車道を登るとすぐ終点で駐車場がある。ここから沢沿いの道を辿る。沢にはところどころ小滝が懸かって滝の名を記した表札があるが、滝というほどのものではない。暗い植林帯を登り詰めると尾根に出る。急な尾根を登り切ると木の階段が現れ、山頂に着く。山頂には休憩所の東屋や椅子ベンチが整備され、公園のような雰囲気だ。藪に覆われた昔の面影はすっかりなくなってしまった。下山は尾根をまっすぐ松田湖目指して急下降すると湖畔道路に出る。

 湖畔(50分)山頂(40分)湖畔

 長石林道から赤雪山
 長石林道の峠が登山口になっており、東側が檜の造林、西側が雑木林になっている尾根を登る。少し行くと送電線の鉄塔に出て東側から送電線巡視路が合流する。電波反射板を過ぎ、松の混じった雑木林の稜線を行く。最後の突起を越えた鞍部で松田湖からの道を合わせ、急斜面を登り詰めるとまもなく山頂である。
 登山口の峠から逆方向に林道を行くと名草の巨石群がある。峠から山頂を往復するだけでは物足りない場合は名草から巨石群を経て山頂に向かうといい。名草から参道に入り、石段を登ると厳島神社の本殿である。厳島神社は名草の弁財天と呼ばれていたが、明治の神仏分離で神社に改称された。本殿の下には花崗岩が節理で真二つに割れた巨岩があり、弁慶の割石と名付けられている。名草の巨石群は節理で割れた花崗岩が水流で削られて丸くなり、積み重なったもので国指定の天然記念物になっている。本殿から沢伝いに登り、石祠が祀られている奥の院に着く。付近には御舟石など名の付けられた巨岩が並んでおり、すぐ先が入山林道の終点である。入山林道を登り、途中で左に分かれる長石林道を行くと赤雪山登山口の峠になる。

 登山口(50分)山頂(40分)登山口
 厳島神社(巨石群)入口(20分)入山林道(30分)赤雪山登山口

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高戸山遠望 穴切峠下の墓標
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穴切峠の山神 南側から高戸山
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高戸山神 老越路根本山神石祠
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老越路の馬頭観音 多高山山頂
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多高山大天狗石祠 多高山山頂直下の石祠
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厳島神社鳥居 厳島神社本殿
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名草の巨石群(奥の院) 赤雪山頂の東屋

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