桐生山野研究会

荒神山稜

桐生みどり 

 足尾山地の主脈は根本山から鳴神山・吾妻山に延びており、丸山付近から荒神山方面に支脈が分岐している。山田郡誌では根本山から荒神山に連なる稜線が勢田郡と山田郡の境界になっていることから北部郡界山脈と命名しているが、鳴神山・吾妻山に延びる主脈と区別して丸山から分岐する支脈を荒神山稜とした。主な山は丸山、大畑山、荒神山である。

1 荒神山稜

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丸山〜小夜戸峠概念図

 丸山から小夜戸峠(荒神山稜上部)
 林道小平座間線から丸山の三角点を往復してから反対側の尾根に取り付き丸山西端の頂に出る。ここから荒神山稜を西に向かう。造林地の赤柴山稜と違って雑木林が続き、樹間が広くて歩き易い。藪漕ぎはなく、踏跡が付いている。踏跡は稜線伝いではなく、山稜を巻いている箇所もある。やがて木の下に立派な石造の馬頭観音が祀られている。ここが小友と小夜戸を結ぶ鹿生(かりゅう)峠である。基礎が木の根に取り込まれているので、造立年号は判読できないが、寶の字が見えるので宝暦年間と思われる。山麓の落合橋付近に祀られている馬頭観音とよく似ており、双方とも宝暦年間と見られることから同時期に祀られたらしい。865bの峰を越えた先で明瞭な道が現れる。この道を辿ると稜線伝いに行かず南側山腹を巻いている。尾根上に戻って稜線が南に曲がり、岩の露出した箇所を過ぎると鞍部に出る。地形図にはここに破線が記載されているが、小夜戸峠は突起を越えた次の鞍部である。小夜戸方面に向かう明瞭な道形が西側山腹に付いている。小友方面にもはっきりした道形が電光形に付いており、まもなく作業道に下る。作業道沿いには「右山道 左小夜戸道」と刻まれた道しるべと庚申塔二基が祀られている。治山堰堤の下に人家が現れ、そこから先は舗装された道路になり、落合橋に続いている。人家の脇には「右山道 左さやと」と刻まれた道しるべがある。峠の馬頭観音は三面六臂であるが、落合橋近くに祀られている馬頭観音は三面八臂で「寶暦十三癸未(一七六三)講中」と刻まれている。

 林道(1時間30分)鹿生峠(1時間)小夜戸峠(20分)落合橋

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鹿生峠 鹿生峠の馬頭観音
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鹿生峠から小夜戸側の下り始め 鹿生峠道小夜戸側下部の馬頭観音

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小夜戸峠〜大畑山概念図

 大畑山から小夜戸峠(荒神山稜中部)
 大畑山は大畑集落の背後にある山の総称であり、山歩きの人は三角点(754b)のある山を大畑山と呼んでいる。大畑山には小平の茂木と大畑を結ぶ旧峠路を辿って茂木峠から登る。大畑集落から茂木沢沿いに砂防堰堤の右側を登る。堰堤を過ぎるまでは踏跡が付いているが、沢に下りるとはっきりしなくなる。沢沿いに登り、源流近くなって山腹を巻く所から明瞭な道形が現れ、尾根上に上がる。道は尾根の左右を巻いて付けられており、主稜線に出た所が峠である。
 なお、峠道の北にある尾根を辿ることもできる。大畑集落から急な階段を登る。階段の脇には多くの庚申塔が祀られているが、倒れているものが多い。階段を登り詰めると大きな庚申塔と馬頭観音のある平になる。ここから少し藪を潜ると檜の造林地になり、急な尾根をそのまま登り詰めると荒神山稜に出る。
 荒神山稜を南に辿るとまもなく大畑山(754b)に着く。山頂は樹林が切れて三角点があるだけ。以前には共同アンテナが設置されていたが、最近撤去された。戻って荒神山稜を北に辿る。山稜は疎林で藪が少なく歩き易い。789b峰を越え、786b峰の南鞍部で稜線の左を巻くはっきりした道が現れる。この道を行くと786b峰を巻いて稜線に戻ると鞍部に着く。ここが小夜戸峠であり、北側に明瞭な道が二つ付いている。下の道を行くと斜面を巻き気味に下り、大畑から延びている林道の終点に下り立つ。上の道が峠道であり、北側の山腹を巻いて小夜戸に通じている。巻き道を行くと主稜から西に派生する尾根上に出る。ここに供養塔があり、「如是畜生發菩提心 左ハやまみち 右ハおだいら道」と刻まれている。峠道で荷物の運搬中に倒れて命を失った馬を供養したものである。すぐ先には石祠があり、「惟時元禄十天(1697)丁丑十一月十五日 小夜戸村」と刻まれている。ここから尾根伝いの道を辿ると北に電光形に道形が付いている。道形に従って斜面を下って沢底に下り立つ。作業道が現れるが、作業道には出ないでそのまま道形を辿り、林道を横切ると民家の脇に下り着く。車道からの入口には人道橋があり、脇に古い庚申塔が並んでいる。下った沢を桃の木沢という。

 大畑(1時間20分)茂木峠(5分)大畑山(1時間10分)小夜戸峠(1時間)小夜戸

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小夜戸集落から小夜戸峠道入口 小夜戸峠道の馬の供養塔
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小夜戸峠道の石祠 小夜戸峠から小平に下る峠道
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落合橋の道しるべ 茂木峠の石祠

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大畑山〜荒神山概念図

 荒神山から大畑山(荒神山稜下部)
 荒神山(624b)は荒神様(三宝荒神)を祀ったことから名付けられた。三宝荒神は荒ぶる神の意味もあるが、民間信仰では竈の神、台所の神として祀られていた。文化三(1806)年の「足尾通見取繪圖」には荒神山が記されており、幕末の文書には荒神山拝殿造立の記録がある。上野国郡村誌八木原村には以下のように記載されている。

 村ノ東南ニ位ス 嶺上リ三分シテ東ハ下毛ヨリ山脈蜿蜒シテ当郡沢入草木座間小夜戸ノ四村ヲ経過シ・・
 南ハ荒神山奈良坂入打桑ノ代前山ニ続キ塩沢村ニ接ス

 水沼駅の対岸八木原から車道が通じているが、遊歩道が整備されている。水沼駅から黒保根大橋を渡り、分岐を右に荒神山への車道を行くとすぐ先で左に遊歩道が分かれる。遊歩道を行くと左に送電線巡視路を分ける。崖の下を通り過ぎると遊歩道が二つに分かれる。右の道は車道を経て展望台に、左の道は頂上広場に通じている。左の道を取って急な道を登り詰めると頂上広場に出る。ミズナラの大木の下に荒神様の石祠と灯篭が祀られており、石祠には八木原村中と刻まれている。途中の分岐を右に取ると車道に出てすぐ先が展望台である。ここからは赤城と袈裟丸の展望が素晴らしい。広場から山頂はすぐである。山頂は三角点があるだけで樹林に囲まれて展望はない。山頂から杉と檜の尾根伝いに踏跡が付いているが、610b峰付近で尾根が曲がって逆方向に向かっており、樹林の中で視界がないので方向感覚を失い易い。ここは地図と磁石でしっかり針路を確認する必要がある。その先は踏跡が再び現れるので判り易くなる。598bの突起で方向が変わるが、稜線には踏跡があるので判り易い。岩が露出した切り通しを越えて尾根伝いに登り切ると大畑山に着く。往路を戻って切り通しから山腹を西に下る。杉林の急斜面を数分下ると古い作業道に出る。途中崩壊している箇所があるが、作業道を辿るとやがて林道になり、八木原奥の一軒家近くで市道に出る。市道を行くと路端の水路脇に古い不動尊が祀られており、安永二(1773)癸巳年六月吉日の銘が刻まれている。荒神山から大畑山間は変化のない山稜である。

 荒神山車道分岐(40分)荒神山(1時間40分)大畑山(20分)切り通し(1時間)車道分岐

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茂木西の最終人家と峠道 荒神山の石祠
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荒神山頂 荒神山から赤城山

2 荒神山稜の峠

 荒神山稜には北から鹿生峠、小夜戸(小友)峠、茂木峠、大楢峠、奈良坂峠、桑ノ代峠の六つの峠がある。ただし、地元では峠と呼んでおらず、 峠名も仮称である。山田郡誌には小夜戸(小友)峠、茂木峠、大楢峠の三つが記載されている。

 鹿生峠
 鹿生峠は大間々町小平の小友と東町小夜戸を結ぶ道で現在もはっきりした道形が残っている。林道小平座間線から沢伝いに古い作業道が峠直下まで通じている。峠直下は茨の藪なので作業道をそのまま東に辿ると終点から踏跡が付いており、斜面を西よりに進んで峠に出る。峠名は鹿生集落名から付けられた。峠には三面六臂の立派な馬頭観音像が祀られている。峠から明瞭な道形が北側に付いている。初め東寄りに向かい、途中から道形は急な斜面に電光形に付けられている。傾斜が緩くなり始めると足場が悪くなり、道形は不鮮明になる。適当に斜面を下ると再び道形が現れ、杉林に入る。小夜戸の集落近くなって道端に馬頭観音が祀られている。「観音智力 能教世間苦 施主新平 天明元(1781)辛七月吉日」と刻まれている。やがて民家の脇を通って小夜戸集落に出る。ここは鹿生集落ではないが、小夜戸峠が別にあるので鹿生峠と名付けたようだ。

 落合橋(20分)峠入口(20分)鹿生峠(50分)小夜戸

 小夜戸峠
 小夜戸峠は大間々町小平の小友と東町小夜戸を結ぶ道で明瞭な道形が残っている。峠名は双方の集落名を取って小夜戸峠又は小友峠と呼ぶ。小夜戸のお年寄りに聞いたところ、双方とも峠の名前はなく、峠とも呼んでいない。道しるべでは小平側では小夜戸道(さやとみち)、小夜戸側では小平道(おだいらみち)と記されている。祖父母よりも前の世代には鹿生峠付近の萱刈場から刈った萱を馬で運んだ。両方の峠道とも集落で道普請をした。急斜面で重荷のため馬が落ちて死んだこともあり、馬の供養のために馬頭観音を祀ったという。小平まで峠を越えて盆踊りに行き、そこで知り合った人と結婚した話を聞いたことがある。小夜戸と小平間には姻戚関係があり、近所には小平から嫁に来たお婆さんがいたと言っていた。

 落合橋(30分)小夜戸峠(1時間)小夜戸

 茂木峠
 茂木(もてぎ)峠は大間々町小平の茂木と東町小夜戸の大畑を結ぶ道で現在は利用されておらず、峠付近は道形もよく判らない。大畑集落から茂木沢沿いに登る。道はないが、源流近くなって山腹を巻く所から明瞭な道形が現れ、尾根上に上がる。道は尾根の左右を巻き気味に付いており、主稜線に出た所が峠である。峠付近には石祠が祀られている。
 茂木側は小平の大杉から左の車道を行くと茂木の集落となる。林道塩沢小平線を右に見送り、大きな砂防堰堤を左から巻いて沢伝いに行き、林道塩沢小平線を横切ると沢伝いに作業道が通じている。入口には石祠があり、その先に廃屋がある。作業道終点の数十b手前から右に道があり、電光形に斜面を登る。道形は稜線直下で不明になるが、斜面を登ると石祠のすぐそばで稜線に出る。

 茂木沢入口(1時間10分)茂木峠
 茂木西側林道分岐(40分)作業道終点付近(25分)茂木峠

 茂木と八木原を結ぶ峠
 茂木集落と黒保根町八木原を結ぶ峠道がある。茂木集落から西側に分岐する沢伝いに稜線を乗り越し、浅原奥の入山沢に出てさらに荒神山稜を越えて八木原に出る道であるが、峠名は付けられていない。ここでは八木原から茂木に越えた記録を紹介する。上八木原から林道を1`ほど東に行き、東に沢伝いに登る。入口は道形が残っているものの、すぐ消えてしまう。沢伝いに行くと稜線近くで斜上する踏跡が現れる。これを辿ると荒神山稜上の鞍部に出る。鞍部から道形を辿って北東に巻き気味に行くと作業道終点に出る。作業道を下ると沢の対岸に林道塩沢小平線が現れる。林道を少し下って東から来る沢に入ると道形がある。沢伝いに登ると道は北よりに尾根を巻き、鞍部で再び林道に出る。林道は切り通しになっており、切り通しから明瞭な道形が電光形に付いている。やがて沢伝いになり、道形を辿ると最奥の人家に出る。この家は十数年前に無人になったが、私が訪れた時にはたまたま人がいた。以前住んでいた人の家族で休みに時々訪ねて来るという。電気もこの家まで通じている。この民家は山仕事と養蚕で生計を立てていた。隣に廃屋が二軒ある。峠名は知らないという。ここから林道を下ると茂木集落で道路に出る。この林道の入口は施錠されており、この家の持ち主以外には入れない。

 八木原からの林道入口(25分)荒神山稜の峠(40分)林道切り通し(10分)最奥の人家(10分)茂木の林道分岐

 ほかに次の三つの峠があるが、私はまだ訪れていない。大楢峠は大間々町浅原の胡桃貝戸と黒保根町八木原を結ぶ道であり、現在は途中で林道塩沢小平線が横断している。奈良坂峠は大間々町塩沢から塩沢川沿いに上って荒神山南西で荒神山稜を越えて黒保根町八木原を結ぶ道で、現在は峠付近を林道八木原峠線が通じている。峠名は楢坂峠とも表記し、両側の集落名を取って塩沢峠、八木原峠とも呼ばれる。
 桑ノ代峠は大間々町塩沢から黒保根町八木原の桑ノ代を結ぶ道である。桑ノ代の十二山神社入口から道形が通じており、入口に「馬頭大士 弘化二 巳(1845)年 十月吉日」と刻まれた文字塔がある。馬頭大士は馬頭観音と同じで馬の供養塔として建てられたものだろう。

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