赤城・長七郎山

桐生 みどり

赤城山鋼索鉄道(ケーブルカー)

 赤城山には過去、利平茶屋と鳥居峠間を結ぶ鋼索鉄道(延長1100m、最急勾配580パーミリ、輸送人員980人/h)があった。1957年7月に開業し、赤城山への唯一の交通機関として利用され、水沼駅は一時、赤城山の表登山口として賑わったという。しかし、開業した年の11月に前橋から大洞まで道路が開通したことによって利用者が減少し、1967年11月に廃止されてしまった。このことは公共交通機関と自動車の並存が難しいことを示している。自動車の乗り入れが公共交通機関の経営を圧迫するので、自動車乗入禁止をセットにしない限り公共交通機関の存続は難しい。ヨーロッパアルプスでは、環境保全及び駐車場不足解消のため山岳地だけでなく自動車乗入を全面禁止しているリゾート地が多くある。日本では自動車優先で乗入禁止に合意が得られる場所は殆どないが、将来、赤城山でも自動車を乗入禁止にしてケーブルカーを復活できる日が来ることを期待している。(現状ではその可能性は殆どないが、将来どのように情勢が変わるか判らない)

利平茶屋森林公園

 利平茶屋を初めて訪れたのは高校の集団登山である。水沼駅から歩き始め、ケーブルカーの軌条跡を鳥居峠まで登って小沼から忠治温泉に下った。それ以来訪れる機会がなかったが、旧黒保根村が利平茶屋周辺を森林公園として整備したのを機に久しぶりに訪れた。2005年に合併して市内になってから身近に感じるようになり、たびたび訪れている。ここは標高が1000mあり、沢沿いなので標高から考えるよりもずっと涼しい。キャンプ場と野外炊飯施設があるが、知名度が低くあまり利用されていない。市内から近いので真夏の避暑には絶好である。涼しい時間帯に鳥居峠まで往復するか、三崖の滝を巡る周回遊歩道を辿るなど山歩きもできる。合併を機に市民の貴重な資産としてもっと活用してほしいものだ。

利平茶屋から鳥居峠・長七郎山

 利平茶屋から鳥居峠までの往復では物足りない。そのうえ終着点が車道ではその気にならないので長七郎山(1579m)まで行くことをお勧めする。鳥居峠までは標高差約450m、一時間強の行程である。ゆっくり歩いても一時間半みれば十分である。園内の林道を数分行き、道標に従い右の山道に入る。30〜40分ほど歩き、荒れた沢を左に横切るとすぐケーブルカーの軌条跡に着く。すぐ先で左に登山道が分かれる。軌条跡の石段を登る方が早いが、階段登りは単調なので登山道を歩くほうが楽しい。登山道は左を大きく迂回しているので距離は長いが、傾斜が緩くて歩き易い。電光型に付けられた道を辿り、砂防用道路に出ると0.3kmほどで鳥居峠に着く。ケーブルカーの旧山頂駅が食堂兼売店になっており、中にケーブルカーの写真や資料が展示されている。
 食堂脇に小沼・長七郎山への道標がある。この道は首都圏自然歩道(関東ふれあいの道)になっており、0.8kmで小沼(この)との分岐点に着く。ここから砂防道路となり、小地蔵山(岳)と長七郎山の鞍部付近に出る。小地蔵山へは整備された道はないが、明瞭な踏跡が付いている。山頂は藪が茂っていて展望はない。
 ここから緩い登りを僅かで石片が積まれた長七郎山頂に着く。この山には非業の最期を遂げた徳川家康の七男松平長七郎の名に因む伝説があるが、山名からこじつけられたものであろう。山頂鳥居峠から50分ほどである。樹林が切れているので風当たりが良く、直射日光を避ければ意外に涼しい。
 帰りは小沼に下り、湖畔東側を半周してから東に少し登ると往路に合流する。鳥居峠からは軌条跡の石段を下る。10分強で上りに辿った登山道と合流する。合流点のすぐ下に御神水があるので寄って行こう。ここまで鳥居峠から水を汲みに下って来る人が多くいる。赤城山のアカは水を指す古語の閼伽(あか)から来ている可能性があると解説板に書かれている。水量が多くて美味しい水である。水を汲んだら往路を下って利平茶屋に戻る。

赤城火山の山頂カルデラと小沼火山

 ただ頂に登るだけではなく、火山地形の観察や山岳信仰に関心を持って訪れれば赤城山の楽しみは倍加する。赤城火山は三十万年以前に活動を開始し、四万数千年前に山頂カルデラが形成されたと考えられている。その後カルデラ内に地蔵・小沼・見晴山の溶岩円頂丘が形成された。小沼は溶岩円頂丘の山頂部が爆発して形成された爆裂火口に水が湛えられた湖であり、長七郎山・小地蔵岳は爆裂火口を囲む火口壁の一部だという。確かに地図を見ると火口壁と見られる稜線が小沼を囲んでいる。

赤城山信仰と小沼

 明治維新前の神仏習合時代には赤城山は赤城大明神として信仰されていた。すなわち地蔵岳が地蔵菩薩、大沼が千手観音、小沼が虚空蔵(こくうぞう)菩薩を本地仏とする赤城三所明神である。日光山の三所権現、木曽御岳の三座神など信仰の山は三神が祀られていることが多い。小沼は鏡を湖に投納する納鏡信仰の地で小沼(この)遺跡と名付けられている。ここから十三面の和鏡が発見されており、うち八面は平安末期のものである。

虚空蔵菩薩像と小地蔵山の山名由来

 小沼の本地仏虚空蔵菩薩像が虚空蔵にある虚空蔵堂に祀られていた。虚空蔵山は現在の小地蔵山(岳)であり、虚空蔵が小地蔵に転化したらしい。その虚空蔵菩薩像は現在、黒保根町下田沢湧丸の医光寺にある。菩薩像は高さ20cm(台座を含めると36cm)の金銅製の座像であり、群馬県の重要文化財に指定されている。小地蔵山の堂宇に安置されていたが、堂宇の荒廃により明治末に医光寺に移されたという。この仏像の背に「上州赤城山 小沼本地仏虚空蔵菩薩 永禄元年」などの銘文があり、戦国時代の1558年に寄進されたことが分かる。何も変哲もない小地蔵山頂に虚空蔵菩薩を祀る堂宇があったのだろうか。むしろ小地蔵山よりも長七郎山の頂が適地な気がする。菩薩像の大きさから考えると堂宇というより祠程度だったのかもしれない。祠があると聞いて山頂付近を捜してみたが、まだ見付けていない。


画像左 利平茶屋の不動尊  画像中 登山道案内地図

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