穴切峠から仙人ケ岳
 桐生川上流は美しい谷が多い。鳴神山や鍋足沢から流れる高沢川、往時忍山温泉で賑わった忍山川等など。だが今日は個性的な景観のある穴切沢を遡行した。
 穴切の集落で車を捨て歩き出す。織物全盛の頃はこの集落でも機の音が聞こえたが、今は静かな数軒の家がきれいに積まれた野面積みの石垣の上にあるのみ。昔時中世の頃、桐生氏と本家佐野氏との連絡道に使われ、また近世旅人商人が行き交った道とは思えない静かな山道となった。穴切の沢は東西に走っているので左右の山は明暗の階調を鮮やかに描き分けている。小さい滝が十余あり、古生層の岩をけずって流れ落ちている。春芽吹きの頃、山ツツジが咲き、また、たらの芽や山菜を収穫しながら歩く。林道終わりに広場あり、首無し地蔵や仏像、石仏四、五体あり維新の廃仏棄釈を思い浮かべる。
 間もなく道は急に狭くなり左右に別れる。右は松田方面へ、穴切峠は沢を渡り左へ行く。およそ200m歩くと百庚申供養塔があり、天明元年の銘がある。天明の大飢饉以前に旅人の安全を祈って建てたものだろう。この辺は人家が二、三軒あったところで峠の屋敷と呼ばれ旅人に茶菓を供したところと思うが、今は篠や竹が繁り、屋敷跡がわずかにわかるのみ。更に100m位進むとナルカミスミレと思われる群落があった。急な山道を登り15分ほどで穴切峠の頂上に立つ。峠頂上は小広いところで左手に山神様の石祠と鉄製の赤い鳥居があり休憩。中居橋より峠まで山菜をとり、石仏を見ながら2時間位かかったろうか。峠頂上東の方向、杉林の中を下る道は皆沢の集落へ行く道。これで当時の道とは別れ東南方向へ道をとる。
 頂上右手に朽ちかけた道標があり赤雪・仙人を案内する。歩き出して間もなく道はなくなり、30分程歩いたろうか、きれいに伐採され展望の開けたところに出る。目の前に多高山、また田沼の山々が良く見える。それを右にとり道はないが原仁田の頭をめざす。藪漕ぎに馴れない私は原仁田頂上まで30分位かかったろうか。東に赤雪、南に仙人の道標あり。潅木のため展望なし。ヤシオツツジの満開の下で休憩。南、仙人ケ岳をめざし歩き出す。小ピーク十数あり、そのうち岩場の上、石祠あり、真西(桐生方面)を向き、大正十三年中沢家の銘あり。中沢家とは何処の御大尽なのかと思いながら、ヤシオツツジの花の中を仙人頂上へと歩く。 急な山道を登り終えると小俣生不動・犬返しより来る山道と合し、間もなく仙人ケ岳頂上となる。三等三角点があり、この点は何処の三角点と測量するのか?地図を広げ赤雪・深高の三等点なのか??
 時計を見ると原仁田より1時間半程たつ。すでに歩き始めて5時間半程経過、そろそろ下山をと前仙人方向へと鋸歯状の仙人稜線を歩く。途中小ピーク、白葉峠方面分岐あり。展望は開け、秩父、信州、西上州の山々が見え雄大な眺めとなる。間もなく菱一色東ノ入、前仙人分岐。仙人頂上よりすでに30分、今日は東ノ入へ下山することにする。杉林の中急下降し、足元に気をつけ下山。戦後の復興期に掘られたマンガン鉱の跡があり、付近はニリン草の群落最盛期にて心和む。
 仙人ケ岳頂上より1時間余、泉龍院入口に着。本日の山行きの終わりとする…。

 中居橋10時発―泉龍院着17時 1987年4月12日あるく 

桐生山野研究会 hisiyama

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