赤城各峰の山名について

桐生みどり

合併で赤城山の東半分が桐生の山になった。桐生地域にある黒檜山(1828m)・駒ヶ岳(1685m)・長七郎山(1579m)を含む主要な峰の山名について考えた。

黒檜山

黒檜山は赤城の最高峰で万葉集十四東歌にある「久呂保嶺」とされている。

賀美都家野久呂保乃禰呂乃久受葉我多可奈師家児良爾伊夜射可里久母

カミツケヌクロホノネロノクヅハガタカナシケコラニイヤサカリクモ

この時代(八世紀)にひらがなはなかったので、漢字に音を充てた万葉仮名で記載されている。意味を推測して漢字仮名混じり文にすると次のとおりである。

上毛野くろほの嶺呂のくず葉がたかなしけ児等にいやざかり来も

上毛野は言うまでもなく、上野(上州)である。(万葉集の時代は上毛野の3文字だったが、後に国名は佳字2文字で表記するとされ、毛を省いて上野となった)呂は嶺に付く接尾語であり、「くろほ」は黒穂、「くず」は葛、「かなしけ」は愛しけの意味である。一般的な解釈は次のとおりである。

上毛野(かみつけ)のくろほ嶺にある葛のつるのように、可愛いあの子たちにいよいよ遠ざかって来たことよ

ここでは「くずは」は葛の葉としているが、固有名詞とする考えもある。「こ」は子供又は恋人を指す説があるが、児等すなわち子供たちとするのが自然だろう。

久呂保嶺は赤城山の古名と考えられ、黒檜の転化との説がある。黒檜はクロベ又はクロビであり、通常樹木の茂った山を指す。久呂保については黒々と見える山を指すクロフ(黒斑)との説もある。赤城山は火山のため亜高山帯針葉樹林を欠いており、クロビやクロベから来ているとは考え難い。浅間の外輪山黒斑のように黒々と見える山ではなく、クロフとも考え難い。富士見十三州與地全図(天保13年)や山吹日記などの近世資料では現在の黒檜山は大黒檜と記されている。

尾崎喜左雄著『群馬の地名』では、「くろほ」は黒峰の意で真っ黒い雷雲が起こる峰をいう、と記載されている。上州は雷が激しいことで有名であり、雷雲が発生する山と考えれば理解できる。「ほ=穂」は峰、「ね=嶺」は山全体を指す言葉で「くろほのねろ」は「黒い山」の意味だという。赤城山の総称がくろほ(黒檜)で最高峰に大を付けて大黒檜(山)としたことも考えられる。この例は比叡山の大比叡など他の山に多く見られる。

なお、黒檜という山名をコンサイス山名辞典で調べたところ、意外なことに赤城の黒檜山以外に足尾山塊の黒檜岳しかなかった。これまで久呂保嶺が赤城山であることを前提にしてきたが、上毛野も広いので別の山を指すこともありうる。先の万葉集の句からは上毛野を代表する山だと考えられるが、久呂保嶺が赤城山であるとは必ずしも限らないと思う。

なお、明治の大合併でできた新しい村に万葉集の「くろほ」から黒保根村と名付けた先人の教養に改めて感心するとともに、今回の合併で「みどり」などという地域性を無視した凡庸な名前しか考え及ばなかった知性を疑う。もともと合併自体が住民の意思に基づくものではなかったが、名前だけでももう少しまともなものを考えられなかったのだろうか。それに住民がなぜ異議を唱えなかったのか不思議だ。都市の名前には個性と品格が必要であり、自分が住民なら市名を名乗るのは気恥ずかしい。

駒ヶ岳

駒ヶ岳という山は日本各地にあるが、大半は残雪期に雪解け部分が黒い馬の形に見えることから名付けられたものである。秋田駒ヶ岳、越後駒ヶ岳、会津駒ヶ岳、木曽駒ヶ岳などの駒ヶ岳は多雪地域であり、実際に馬の雪形が確認できる。北海道の渡島駒ヶ岳、箱根の駒ヶ岳などは雪形起源ではなく、甲斐駒ヶ岳も山麓の郡に因むという異説がある。赤城山は多雪地域ではないが、ある程度残雪があるので雪形による命名だと思う。ただ、地元で雪形について聞いたことはなく、雪形が実際に確認されているかも分からない。知っている人がいたら教えていただきたい。

長七郎山

長七郎山の名は謀反人として非業の最期を遂げた徳川家康の七男松平長七郎の名に因むとの説があるが、こじつけのようである。利平茶屋の小林利平さんのように実在の人名起源も考えられないことはないが、作為的な名前のような気がする。

赤城の主要な峰を指して赤城五峰と赤城七峰という呼称がある。赤城五峰は鍋割山、荒山、地蔵岳、黒檜山、鈴ヶ岳であり、赤城七峰はそれに長七郎山と駒ヶ岳を付け加えたものである。長七郎山は主要七峰最後の峰であることから名付けられたものかもしれない。これは推測に過ぎないが、一つの説として考え得るのではないだろうか。

長七郎山頂の北にある小地蔵岳(山)は長七郎山の一部であるが、小沼の本地仏虚空蔵菩薩像がこの山にある虚空蔵堂に祀られていた。その山名の虚空蔵が小地蔵に転化したものだと考えられている。大沼対岸の赤城神社付近からは地蔵岳と並んで地蔵岳を小さくした形に見える。その形から文字どおり小地蔵岳と名付けられたことも考えられる。

鈴ヶ岳

鈴ヶ岳、地蔵岳、黒檜山の三山が鼎立して赤城の中枢部を形成している。鈴ヶ岳は赤城で最も険阻な峰で修験の対象になっている。豊入彦命が麓に御殿を造って祭りに舞を舞い、この時の舞の鈴を頂上に納めたので鈴ヶ岳と名付けられたという伝説がある。山の名前はその形状などから付けられることが多く、山名に因んだ伝説が後で作られたと考えるのが自然である。赤城山頂部の東側からは三角お握り、北・西山麓からは釣鐘を逆さに置いた形に見える。釣鐘は鈴の形にも例えられるので、私は文字どおり鈴の形の山だと思っていた。     
しかし、山名のスズについては稲積の説があることを知った。それによると刈り取った稲を積んで干した稲積を方言でスズといい、稲積型の山容(円頂)にスズを冠する山名の例が多く、鈴ヶ岳や鈴ヶ森など類似の山名が二十箇所ほどあるという。例として鈴鹿山脈の鈴ヶ岳(1130m)がある。また、稲積はニュウともいい、北八ヶ岳には有名なニュウ(2352m)がある。
隣接する足尾山塊には字が異なるが、同名の錫ヶ岳がある。錫ヶ岳は古文書では鍋割山とあり、稲積型の円頂に見えるので稲積に起因する山名かもしれない。またはササが密生していることからササの異名であるスズから来ていることも考えられる。 

鍋割山

この山にも袈裟丸山と同じような弘法大師の開山伝説がある。大師が霊場を求めて赤城山を訪れて山中を探したが、九十九谷しかなかったので諦めて下げていた手鍋を投げ捨てて赤城山を去った。その鍋が割れて被さったのが鍋割山だという。鍋を伏せたような形状から名付けられたものだろう。丹沢にも同名の鍋割山(1273m)がある。ほかには岩手県焼石岳東方の鍋割山(673m)と天草諸島下島に同名の山がある。

荒山

1251(建長三)年「上野国赤木嶽焼」という記録が鎌倉時代の歴史書吾妻鏡にある。この記録に対して火山噴火説のほかに赤城神社の火事とする説、山火事説など諸説があったが、近年、赤城神社のある三夜沢の旧家で古文書が見付かり、赤城山の噴火が裏付けられた。それによるとこの時噴火したのは荒山の中腹の大穴であり、記述から水蒸気爆発であったと考えられている。山名の起源は文字どおり荒れる山すなわち荒山であろう。昔の人は荒らぶる山として活火山を怖れ敬った。日光白根山も上州側で荒山と呼ばれ、信仰登山の対象になっていた。ほかには魚沼三山の八海山と中ノ岳間に荒山(1344m)がある。この山は縦走路中の小さな突起に過ぎず、山麓の荒山集落から名付けられたとも考えられる。

地蔵岳

地蔵岳は山岳信仰に基づく名前である。赤城山の神は13世紀まで大沼、小沼の神からなる二所明神であった。大沼は本地仏千手観音、小沼は本地仏虚空蔵菩薩である。14世紀には中央火口丘の本地仏地蔵菩薩が加わり、三所明神に変わった。それで地蔵菩薩を祀った峰に地蔵岳の名を冠したのである。地蔵岳頂上には地蔵菩薩の像が建っている。同名の山は数多くあり、近くでは渡良瀬川東岸粕尾峠南方の地蔵岳(1274m)、前日光の地蔵岳(1483m)があり、いずれにも地蔵菩薩が祀られている。

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