蕪丁集落跡から唐松集落跡を歩く

 蕪丁を歩くをご覧になってからお読みください。

 hisiyama

蕪丁集落内数箇所にある村道標識 今では完全の獣道になってる、でもこの標識は唐松村内には無かった。唐松の廃村になるのが戦前であったと聞く。 蕪丁から唐松方向へ行くと標高約450mの鷹林寺から残間サン(山)への縦走コース手前のピークにあった山神宮 桐生市史にはこの祠付近に墓地があるとあったが発見できなかった。このピークに着く前が猛烈な藪となる。 こんなルートから完全に外れた神様は誰にも手を合わせてもらえなかったろう。崩れていたので直そうと思ったがハコの上に屋根を乗せても又落ちるだろうから屋根を起こしハコ(祠本体)を起こしてきた。後ろの榊の木は凄い勢いで繁茂してた。ここから15分も歩けば縦走ルート。ルートへ出れば大州沢へ簡単に下りられる。
唐松の村付近まで来た。ここまでが大変な急下降で下りた昔はちゃんと道があったろうと思われるが今では皆無だ。最初に発見した石垣。ここから何処を見渡しても全て三椏の木こんなに三椏を見たのは自分は初めてだ。三椏のジャングルを歩くのはちょうど身長くらいから下が茂ってるので非常に歩きにくいし未通しが極端に悪い。 このような石垣が出てくるが屯の跡と思われる形跡が無い。不安になる。 が、忽然と姿を現す石造物 庚申塔や百番供養(百観音と思う)六十六部や美しい石造物コケや雑草も無く八十年も前に廃村になったとは思えない石仏だった。

百番供養 こんな仲の睦まじいお姿の道祖神と思えたが道祖神なら桐生では珍しい石造物 早く町の文化財専門の施設へ移して貰いたい。 六十六部の台にあった 唐松村中の文字
下山中にあった滝と今は使われない材木搬出の木橋この滝は今の乾季でもこれだけの水量が有る。夏行けば桐生でも有数の滝の一つだ。総落差20m位、凄いお土産をいただいた。 こんなに凄い木橋だが今では渡ることは出来ない。来年あたりには崩れるだろう。なにか昔映画に有ったクワイ河マーチを思いだす。日本軍のビルマ侵攻で英人捕虜に作らせた橋を思い出した。 水道取水施設だ。もう間もなく市道。

この紀行は“蕪丁を歩く”の続きです。入山地点は弁天滝からです。わかりにくい所と足元が極端に悪いので充分に注意。できればGPS持参がよいでしょう。

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