白葉峠旧道

 hisiyama

小俣のカタクリの里から入山して白葉峠に降り立ったが、未だ時間も有るし車の回収でカタクリの里まで舗装された車道を歩くのは嫌だし、白葉(しらっぱ)峠の道を思い出した。戦後すぐ(S21年頃か?)石尊山の梵天祭に兄に連れられて提灯を点けて早朝登った。あの頃子供だったが簡単に登れたのを覚えていたので、早速旧峠道を歩いて車の回収に行く。
先ず峠頂上の白羽さまなどの神様の下がつい最近までゴミ捨て場でとても歩く気にはなれなかったが、つい最近火事があったのだろうゴミや電気製品などはほぼきれいになってるので昔の道を探しながら降りる。 ゴミをよけて降りると完全に旧道はゴミの下 ゴミが下まで届かなくなるとこのような判然とした道が現れる。
この左の方から降りて来るとゴミにあわず、ここ念仏供養等や庚申塔のところへ出る。この神様の右側は小俣白葉沢の源頭で昔は水が飲めただろう。 車道を横切りガードレールを跨ぐと非常に感じの良い道がある。それが小俣側の旧道で良いみちだ。ここは一昨年杉の伐採してた地元の方からこの道が旧道であるのを聞いていた。素晴らしい旧道だ。 この岩峰が見えたら間もなく車道
岩峰が終わると車道へ出る。出たら前のガードレールを跨ぎ沢に下りるがこの先を沢沿いに歩くのはあまりお勧めできない。ゴミと大きなダムが出来て道も判らないの車道で沢を覗きながら歩いてみる。道は沢の左岸にあったと地元の方から聞けた。 ガードレールの下にある石宮か神道式のお墓か?もう一基あったが崩れていた。 県道にある標識 向かって左 白葉峠と読めた。彫が浅いので解読に誤りがあるかも。正面には御大礼記念とも読めたが治山治水が進んで川幅が広がりここからの道は無い。以前はこの標識から白葉峠へ入ったそうだ。
白葉峠はこの沢の左岸から入ったそうだ。現在は治水工事でみちがなくなったと聞く。 現在の峠入り口の一軒上流の白葉沢から石尊と標識 車道を歩き始めたらこのような機械を出してるので声を掛けて少し話をした。凄いジャカードですよ。S50年頃250万もした機械がスクラップで出されるなんて、如何にも寂しい景色だ。このような機械が要らなくなったことは日本も先はしれたもの、日本人はなにをして生きて行くのか?
珍しい繊維機械が中にあり見せていただいた。
SANKINの機械、懐かしいな。私がS29年頃勤めた会社の機械だ。この機械もS50年頃買ったそうだが、SANKINは繊維機械で、日本でも有名な桐生機械にいた腕利きの技術者三人がS20年台に作った会社で優秀な機械を全国に供給してた。これより車の回収して白葉峠へ向かう。
峠の金網から山道へ下り
桐生側の峠道は下(右)へ下る
下りながら上を見る
杉林が見えてくると道も判然としジグザグになる 杉林中の判然とした道が残っていた。懐かしい。 このような道なので子供でも白葉峠に行けるだろう。
ちいさな小川沿いに道を歩くと車道に出る。このスグ右(西側)にも道があるがそれで行くとカラスネドが近くなる。 峠に入るときはここから入る。ここまでは小友の入から白葉方へ曲がると車道はほぼ直線となる、直線が終わってヘアピンカーブの所 桐生側から登り返した旧道に入って間もなく小沢が分かれるが左へ行くと来た道で峠頂上へ立つ
新白葉峠道は土地を寄付されて建設されたものだが私の記憶では自衛隊の工兵隊の演習で作られたと思う。
この碑から下がって小友橋の手前の右(東)側に沢があり一時ここに小屋がありオフロードバイクと言うのか山の中をバイクが練習か競技をしていた。これを入ると間もなく沢沿いに道があり入小友遺跡があり、平安時代の鉄の遺跡で菱には数箇所遺跡が有る。またこの小沢沿いの道はほぼ真っ直ぐに現在の頂上付近まで道は確認できるがこれは戦後ワイヤーロープが普及してきてからの橇道で旧道と間違え易い。
車道峠道から見た今日歩いた景色の一部

時間は桐生側が峠から車道まで写真を写し周辺を見たりして兎に角ゆっくり歩いて車回収のため往復30分弱で。
足利側が峠直下のゴミのところなどとダム付近が時間がかかるのでの下りが県道まで15分くらいだった。
それにしても昔は簡単に峠は越えて行き来できたが、現在の車社会になってなんと車道歩きは時間の掛かること。車に怯えて歩くと言うなんとも言えない一日だった。

inserted by FC2 system