丸山

桐生みどり

 丸山は鳴神山・座間峠間の鳴神山脈主脈から西に派生する尾根上にあり、小さな4つの頂を連ねており、最高点は標高1064mである。4つの頂にはそれぞれ名前が付けられているが、丸山はその総称である。西から十二時山、三角点峰、赤城様のある峰、主脈との分岐点の鍋足沢の頭である。その名のとおり、平凡な丸い山で鳴神山に比べると知名度は格段に低い。山仕事をしていた小平共有林の人たちに確認したところ、大荷場から赤城様まで昔から道があり、ここが丸山の中心だったが、いつの間にか三角点のある最高点が頂上になってしまったという。

上野国郡村誌山田郡小平村(明治十一年)の項には次のように記載されている。

丸山

 又離山ト云、高四百八十七丈余、村ノ東方ニアリ、嶺上三分シ東方高澤村に属シ、北方勢多郡坐間村ニ属シ、東方脈ヲ山田村鳴神嶽ニ連瓦ス、山中樹木生セス、登路一條、字大荷場ヨリ上ル十六町四十三間、渓水一帯小平川ノ源ニシテ村ノ用水トナル

 山田郡誌の記述もほぼ同じであり、郡村誌の記述を転記したものと考えられる。

丸山(離山)

福岡村大字小平の東北部勢多郡界に峙立す、高さ一〇六四米、嶺上三分し東方は梅田村大字高澤に属す。北方は勢多郡東村大字座間に属し東方の支脈は鳴神嶽に連瓦す。山中樹木を生ぜず。登路一條、同村大字小平字大荷場より上る、十六町四十三間。渓水一流は小平川の上流なり。

なお、引用資料の郡村誌は明治七年に当時の政府が各府県に国史編輯局を設置させ、郷土史を作らせたものであり、町村から提出されたのは明治十一年前後である。政府から指示された「疆域」「地勢」「管轄沿革」「里程」「人数」等の項目に答える形で作成された。その際に記載例が示されたものと考えられ、各地とも同じような記述になっている。「山」又は「疆域」の項目について引用した。

山頂付近を林道小平塩原線が通っているので5分か10分で三角点に行くことができる。

それではつまらないので、鳴神山から主脈を縦走して丸山に登り、少し戻って座間峠に周回する経路を紹介する。

 コツナギ沿いの道はいつの間にか作業道になっていた。従来の道をブルドーザーで拡幅整地してある。作業道は土が掘り起こされて歩き難いだけではなく、不愉快な気分になった。コツナギ沢の下部は大規模な伐採が行われている。作業道から従来の道になるとやっと心が落ち着いた。鳴神山北鞍部は反対側から赤芝登山道が合流し、十字路になっている。稜線では杉の拓伐が行われ、倒された木が道を塞いで歩き難い。

 丸山東端の鍋足沢の頭(1059m)は昔からの名前ではない。桐生周辺ではなんとか沢の頭という言い方はなく、他地域の命名法をまねて近年付けられたものである。ここから西に5分ほど行った峰が赤城様である。赤城神社を祀った2基の石祠があり、ここが丸山の中心である。ここから20分ほど道のない稜線を行くと三角点のある最高点(1064m)に着く。伐採した木が散乱して三角点を隠していた。ここから西に5分ほど下ると林道小平塩原線に出る。林道を少し歩いて踏跡を10分ほど登ると西端の十二時山(1056m)だ。

 主稜線まで戻って座間峠に向かう。1016m峰(鍋足山)は木の根を掴んで登るほどの急登だ。この付近はチャートが稜線に露出している。座間峠の下りは木の葉が堆積していた。

 コツナギ橋(50分)鳴神山北鞍部(1時間20分)鍋足沢の頭(1時間)座間峠(30分)林道(40分)コツナギ橋

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