残馬山

桐生みどり

残馬山(1107m)について山田郡誌には以下のとおり記載されている。

殘馬山

梅田村大字二渡、山地勢多郡東村大字座間の三大字に跨り、北部郡界山脈の主峯をなす。海抜一一〇七・四米にして實に本郡中の最高峯たり。その脈南方に延びたるものは桐生川、忍山川の分水界をなし、忍山山脈となり二渡に至りて急傾斜を以て桐生川に終る、頂上を里人、怒多子山と稱す、頂上に近く殘馬神社の廢阯あり、今尚石祠を存す、登路一條は二渡字上ノ原より忍山川の渓谷に従ふ。路程凡二里餘、その間奇岩怪石、瀑布、洞窟相點綴して沿道の景觀頗る美なり。 

上野国郡村誌山田郡二渡村(明治十一年)の項に残馬山は忍山と記載されている。

忍山

高三百八拾丈、村ノ北方ニアリ、嶺上三分シ東方山地村ニ接シ北方勢多郡坐間村ニ属シ、西南本村ニ属ス、山脈南北ニ亘リ南方高澤村諸山ニ連リ、山中樹木生セス、登路一條字上ノ原ヨリス、凡貳里拾二町、頗ル険峻トス、渓水一條、深壱丈二尺浅処壱尺、廣二間三尺、忍山川是ナリ、南流スルコト二里拾弐町、字中嶌ニ至リ桐生川ニ合ス

 なお、現在では残馬山(ざんまさん)であり、忍山(おしやま)とは呼んでいない。もともと残馬山は忍山川上流の残馬神社付近を指す名称であったものが転じて頂上を指すようになったものである。山田郡誌によれば、頂上を怒多子山と称すとあるが、現在では全く聞いたことのない名である。根本も残馬も神社の名称が山頂を指す名称に変わっている。昔は神が降りる岩座(いわくら)として山中の険しい岩場に神社を祀り参拝していたが、山頂には特別の意味がなく、あえて名前を付ける必要はなかったのである。 

 山田郡誌では主稜線を鳴神山脈、残馬山から南に派生する尾根を忍山山脈、忍山川と高沢川の分水尾根を高沢山脈と呼んでいる。これらの名は古来の名ではなく、郡誌編纂者の命名だと思う。鳴神山脈は山脈でもいいが、忍山山脈、高沢山脈は大袈裟すぎる。せいぜい尾根又は山稜といったところが適当と思うので、ここでは忍山山稜、高沢山稜と称することにする。

 残馬山の主な登路は四つある。忍山川沿いに旧残馬神社を経由する道、三境トンネルから馬道峠を経て稜線伝いに行く道、座間峠から東に稜線を行く道、南側の尾根(忍山山稜)から登る道である。忍山川から渓谷伝いに登る道が最も変化があって面白いが、現在では道が荒れており、一般向きではない。三境トンネルと座間峠からの道は縦走路なので、忍山山稜からの道を紹介する。

 この道は忍山山稜中間の寄日(よっぴ)峠から山稜を辿るものである。寄日峠には寄日の集落から沢沿いに登る地形図記載の道と柏久保から登る道がある。ここでは残馬山登山道として野外活動センターが一時期整備していた柏久保からの道を紹介する。距離は長いが、尾根を忠実に辿るので歩き易い。

 県道から源蔵橋を渡って柏久保の人家脇から歩き始める。人家の脇から作業道を尾根沿いに登ることもできるが、作業道を登るのは単調なので南側の歩道を行く。杉林の中を沢沿いに行き、途中から南側の尾根沿いに登る。尾根には伐採した木を搬出した橇道がはっきり残っている。橇道は橇が暴走しないように掘り込んで溝状になっている。私は実際に橇で搬出するのを見たことはないが、昭和三十年代までは普通に見られたという。

 寄日峠付近には赤城様の石祠がある。峠で寄日からの道を合わせる。ここからは尾根上を行く。尾根には踏跡が付いているが、野外活動センターが付けた指導標は朽ちて殆ど残っていない。作業道終点付近の飯場跡、テンジョーガマを経て北沢山(830m標高点)に至る。北沢山を下った所が萱刈場、886m標高点南の平坦地を桐ノ木久保、標高1000m付近で東から尾根が合わさる所を高仁田尾根と呼んでいる。頂上近くなると尾根上に岩が露出するようになる。踏跡を辿って東側に派生する岩尾根を10mほど行くと小松山神の石祠がある。現在は地元の一部の人を除き殆ど知られていない場所だ。ここから10分ほどで山頂に着く。柏久保から山頂まで標高差830m、5km近い長丁場である。

柏久保(3時間)残馬山頂上(2時間)柏久保

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