東岐沢から鬼怒沼湿原へ

                             

                               REI KESAMARU 

 栃木県塩谷郡栗山村に古くから、「鬼怒川のはるか彼方に仙境がある…」と言い伝えらてきた。おそらく神々が住むであろう彼の地に行きたいと願った村民は信仰登山隊を組み、金精峠より温泉岳を越えたが、今の念仏平のあたりで踏み迷ってしまった。恐怖のあまり口々に念仏をとなえ、ようやく日光山に戻ったが、これが念仏平の名の由来であるという。
 これを聞いた大類市左衛門というものが一人で探検に出かけ、念仏平こそ無事に通過したが根名草山腹の四日平で四日間もさまよいながらも(これが四日平の名の由来)、ついに緑輝く湿原にたどりついた。鏡のような四十八沼をちりばめた湿原の中央には、神仙ならぬひとりのうら若き乙女が絹布を機織っていた。あまりの美しさに茫然自失、ふと気がついたら美しい乙姫様の姿はそこになく、持参の斧の柄は風化したごとくに朽ち折れていた。不思議な思いのまま帰宅すると、我が家では当人の三回忌法要の最中であったという…。これが鬼怒沼湿原に伝えられる「衣姫(絹姫 きぬひめ)伝説」である。
 24歳の初夏、僕は衣姫には逢えなかった。伝説の重みも知らず、花の名さえも知らず、湿原にたたずんでも「尾瀬よりスケールが小さいな…」くらいにしか思わなかったのだから、衣姫も現れようがなかったのかもしれない。
 あれから22年が経過した。混雑する山を避け、静かな山旅の中に自然との対話を楽しむようになった今なら、もしかしたら衣姫に逢えるかもしれない。

 平成6年7月17日午前5時、大清水を出発する。ヤマオダマキの気品があって、それでいてどこか寂しそうな花を見て、背景の暗さによりいっそう白さを際立たせているセンジュガンピの花も咲く林道は、左手にオモジロ沢、ニゴリ沢、彦之丞沢などの瀬音を聞けば、東岐沢出合いだ。沢を飛び越え右岸に渡る。
 この東岐沢から奥鬼怒湿原に至るルートは、昭和40年代初期のガイドブックには案内があったのだが、いまでは登山界からは忘れ去られようとしているルートだ。詳細なガイドブックの記述をもとに、しっかりした道や道標に導かれた安全確実な登山が風潮な現在、自己だけが主体となり、責任のすべてと、その代わりあふれるほど自然との一体感が得られる「昔ふう」な登山は、そのやり方すら忘れ去られようとしている。山に登ったら世間話で一日を過ごすような内容でなく、もっと大切な「何か」を求めたい…。東岐沢は、そんな欲求をかなりな程度満足させてくれるルートだ。そして今日のメンバーは、「昔ふう」の登山にあこがれを抱き、実践しようとしている「私流」の登山に共鳴している人たちだ。
 ゆく先々でセンジュガンピの大群落に迎えられ、標高1570mのあたりになるときれいなナメ滝が現われた。ちょうど良い場所なので、休憩しながら沢の水を口に含んでみた。水の味は花崗岩地帯のシャープな切れ味を感じさせるものではなく、苔におおわれた大地から湧き出た水に特有なきわめてまろやかな感じで、古き原生林をほうふつさせてくれるような味だった。
 再び歩き出した沢筋には、ところどころに古い目印が残されていた。いにしえの岳人がたどりし道筋を探しながら進むのも一興だが、「私流」を標榜する登山の実践となれば靴を履き替え、沢筋を忠実に詰めることとした。敢然と地下足袋ワラジになったのはA嬢。この場の雰囲気に一番しっくりしていた。ついで渋いのはA氏とG氏、地下足袋の底に自分でフェルトを貼った履物も、かなりな程度サマになっていた。僕とS氏はお金のかかった渓流シューズ。昨日買ったばかりというS氏の靴は蛍光色のカラーリングも素晴らしく、きわめて現代的。過去と現在がクロスオーバーした珍妙なスタイルは、これが21世紀直前の登山スタイルかと思うと、少々おかしかった。
 沢登り初体験というS氏の歩行も水の流れに親しんできたころ、標高約1600mあたりから右に左にと枝沢が分かれるようになった。地形図上の間違いもあり、慎重に進むべき角度を決定する。標高約1790m地点から、沢筋は大きな滝が連続するようになった。驚いたことに、ムラサキヒシャクゴケが一面に付着した滝の連続で、水を吸ったウ−ルの上を歩いているような気分だった。もちろん剥がさないように、一歩一歩が慎重であったことはいうまでもない。
 標高約1850mあたりで滝場も終り、最後の水場となった。楽しかった滝登りの余韻に浸りながら周囲の原生林を眺めつつ、おいしい水を汲みあっては飲む。見上げる樹の葉に特徴があるのはハクウンボクだろうか。「森閑として」という表現がぴったりの場所だ。僕は山に登って楽しかったとき、「この次は、いつ来られるんだろう…」といつも不安になり、一瞬一瞬がとても大切な時間に思えてくる。そんな時、参加者の一人一人が限りなく親密に思えるし、風のひとそよぎ、木の葉のささやき、空の色など、自然現象のすべてが優しく語りかけてくるのを感じる。こんな一体感を感じさせてくれる場所は貴重な存在だが、いつまでもここに止まるわけにもゆかない。湿原はすぐそこだ。
 稜線までは針葉樹の中に古き道形をたどった。登山前からここで出会えるのではないかと予想していた奥鬼怒の名花オサバグサの花とともに、予想もしない極めて珍しいカサゴケという蘇苔類も発見できた。これは現地では分らず、帰宅後の調べによると、オオカサゴケ、カサゴケモドキが県内では発見されているのみだった。
 奥鬼怒湿原について最初の仕事はコーヒーを湧かすこと。東岐沢の水で湧かしたコーヒーは、最高のうまさだった。「生」で飲んでもおいしい水は、煮沸させてもおいしいのかもしれない。コーヒー片手に見わたす湿原には、ヒオウギアヤメ、キンコウカ、サワラン、ツルコケモモ、ツマトリソウ、ヒメシャクナゲ、タテヤマリンドウ、マルバノモウセンゴケ、コバノトンボウソウやチングルマ、ワタスゲの花穂などが咲いていた。
 2時間の湿原散策は終始花に囲まれて、参加者の一人一人が花との対話を楽しんでいた。僕は素晴らしい自然と素晴らしい山の仲間に恵まれたことを感謝しつつ、花の撮影会を続けていた。そして、ファインダーに見る花の向こうにある存在が、僕の長らく探し求めてやまなかったものと気付いたとき、奥鬼怒湿原を訪ねたかった目的がここにあったことを知った。

 46歳も過ぎたある日、僕は奥鬼怒湿原で衣姫に出逢うことができた。湿原に一歩足を踏み入れたときから、そして湿原を去るときまで、ずっと一緒だった。過去、現在、未来を超越し、彼女はこの素晴らしい自然が存在する限り、伝説とともに永遠に生き続けるのだろう。22年の年月は、僕が衣姫に逢うために必要な準備期間だったのかもしれない。彼女はいつでも僕に微笑んでくれることがわかったので、草紅葉の頃にはまた、逢いに行こうと思っている。

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