黒保根の文化財めぐり

hisiyama

秩父の和銅が採取されて年号が変ったのが次の年だから、古い神社。 栗生神社の階段。ここが栗生山の登山口。 長屋門であり、篭り堂とも言われている。
この杉の木も県天然記念物。大同1年頃に植えたそうだ。まー古い木ですねー。空海や最澄などが渡海して、修行して帰って着た当時なのかなー。桐生の広沢用水が大同4年だから、まだ高野山が出来た頃なのだろう。 この彫刻と神社が県の重要文化財。彫刻は棟梁・関口文次郎の作。田沢の沢入から田島峠を越えて、花輪で修行して、当時日本一の彫師。桐生天満宮の彫刻も同じ彫師作。二十四考と思うが手元に資料がないので?根本沢崖の上にある根本神社の彫刻も、東村史では関口文次郎作。長野県にある何て言ったかなー、伊那の熱田神社?の彫刻は国の重文。桐生天満宮の彫刻も大分色褪めてきたが、あれを塗り直すと2億とか3億(一桁違ったかな)かかるそうだが、新規に機械で彫って機械で塗れば、十分の一くらいの値段で出来るようなことを聞いたことがある。如何に古いものを元の様に修復するのが大変なのか。
大きな木で作った刀を奉納してたのだが、しばらくぶりで行ったら野球のバットが奉納してある。野球少年頑張れ。 (左写真)水盤舎と水盤。
(右写真)水盤の下の力持ち。正面は若い女性の背中に乗ってます。酒の壷の上からささーササをどうぞと言ってるのかなー。我が家の長年の連れ合い(ナニクサレ縁さ、ハハハ)。でも40年以上も一緒に山歩きしてくれたカノジョです。最終的には大朝日を十二年くらい前に縦走したのが大きな山の最後かな。それ以来、下肢身障手帳であまり歩けず、本人は断腸の思いでしょう。GPSなんてそんな生意気な道具が無い時分に藪山を地図と磁石であるいたのだから(心中はホコリだらけでしょう)。
向かって左側の女性。 向かって右の女性。昔は美人で可愛い女性が多かったようですねー。 裏側の力持ちは酒の桶なのでしょう。
左側の桶。 右側の桶。 桐生の石工の銘あり。桐生住 中島庄太郎と読めた。

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