吾妻山はなぜ高い 〜吾妻山の生い立ちと地形の成り立ち〜
 吾妻山の地層を観察すると、地形の成り立ちが読みとれます。柔らかい地層は、削られて、低くなだらかになっています。固い地層は、風雨にも強く、高い地形をつくっています。更に、地層の傾斜・断層なども地形に関係しています。

1 足尾山地の吾妻山
 吾妻山は、足尾山地の一部で、足尾山地の西端にあります。吾妻山は、地層の分布から見ても足尾山地に含まれます。足尾山地の主な地層は、チャート、泥岩、砂岩、凝灰岩、石灰岩、溶岩類などの海成の古い時代の地層と、北部の新しい時代の火山岩類などの地層から構成されています。そして吾妻山は、砂岩、溶岩、チャートの地層からできています。

2 吾妻山の地層
 A 砂岩層 …吾妻公園から登って、海抜約250mまでのなだらかな区域の地層。
 この区域の砂岩層は、火山灰が混じっていて、チャート層を取り込んでいる部分もあります。いかにも軟らかい砂岩層で、削られやすく、なだらかな地形になっています。砂岩は、陸からそれほど離れていない、浅い海底に積もってできた地層です。それなのに、深海でできたチャートが混じっているのは、なぜでしょう…。実はこの地層は、大規模な“海底地滑り”によってできた地層です。チャートは、地滑りの時に取り込まれたものです。
  年代→およそ1億5千万年前(中生代ジュラ紀)

 B 溶岩層 …海抜約250mからトンビ岩を含む海抜約350mまでの区域の地層
 この区域の地層は、暗い緑色の玄武岩質の溶岩です。いかにも固い地層で、雨や風の浸食に強く、周囲の軟らかい砂岩層が削られても、この溶岩層は残ります。吾妻山を遠くから眺めると、この溶岩層の部分が出っぱっているのがよくわかります。
 吾妻山の南面には、“枕状溶岩”がたくさんあるので、この溶岩が海底火山だったことがわかります。枕状溶岩というのは、海底火山のマグマが噴出するのに、海水の強力な水圧で押さえつけられて、少しずつ、細切れに噴出したものです。やっと噴出したマグマは、急に冷えて固まるため、枕や俵状の楕円体になります。枕状溶岩ができるためには、水深1000m以上が必要といわれています。トンビ岩は、一部枕状らしきところが見られ、枕状溶岩になりかけの溶岩であることがわかります。
 桐生近辺で“青石”と呼ばれ、よく庭石に使われているのが、この溶岩です。
  年代→推定2億5〜6千万年前(古生代ペルム紀)

 C チャート層 …海抜約350mから上の山頂までの区域の地層
 急峻な山頂部分をつくっている地層は、ほとんどチャート層です。このチャート層は、一枚の地層が2〜3cmから10cmくらいの厚さの層状チャートです。チャートは、このように層状になっているのが特徴です。吾妻山のチャート層は、全体に熱を受けて焼けています。おそらく、溶岩の熱の影響でしょう。
 山頂近くのチャート層の表面を見ると、斜面の傾きと地層の傾きが、ほぼ一致していることに気づきます。したがって、チャート層の伸びている方向が、尾根の方向と一致します。つまり、突き出たような吾妻山の山頂地形は、チャート層が形づくったものです。チャートも緻密で固いので、トンビ岩の溶岩と同じように風雨の浸食や風化に強く、山頂部分でも削られずに残って、現在の高い地形を保っています。
 チャートは、放散虫などの微少生物(プランクトン)の死骸が、たくさん深海底に堆積してできます。チャートは、深さ何千mといった海底でしかできません。したがって、陸から遠く離れた太平洋の真ん中で、数万年かかって何cmかのチャート層ができるわけです。
 石器時代や縄文時代の“矢じり”には、チャートが材料としてよく使われています。
  年代→およそ3億万年前(古生代石炭紀)



05/4/9 桐生西公民館 吾妻山観察ハイキング資料   日本地質学会会員 藤井 光男

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