桐生地質の会ニュース No.19

藤井光男


1 学習会の報告
 ・日 時 4月4日(金)、午後7時〜9時15分、相生公民館で
 ・参加者 小林、山本、宮崎、中島、清水、藤井
 ・内 容
  ●(1)加藤さん関係…4)3月29日(土)の納骨式、当会からは山本・宮崎両氏が出席した。蕪町の墓地で、出席者が多かった。
   (2)4月27日(日)慰霊碑「極楽とんぼ」を加藤さんの遭難場所に建てる。集合は、柄杓山城址の奥の駐車場に9:00、供物等は不要各自の昼食等    は持参する。
  ●「群馬の大地」の上毛新聞掲載は、遅れる。100回掲載分ほどある。新聞には、週に2回掲載とかがハッキリしていない。
  ●地学団体研究会前橋支部の総会で、4月20日(日)前橋総合福祉会館、桐生地質の会の活動報告を藤井がする。
  ●いよいよ「桐生地質誌」の第1回編集委員会を、5月31日(土)、午後7時〜、相生公民会で開催する。次回5月の学習会は、この編集委員会が兼ね    る。
  ●小林さん、黒保根町の学童クラブの退任時に、小化石サンプル(サメの歯化石)を子供たちに配布した。
  ●藤井は、資源・素材学会の春季大会、3月29日、於東京大学・生産技術研究所、で「鉱業史」部門に出席した。
   ・当会から藤井の退職祝に花束が贈呈された。…先輩各位から「目的意識をもって、時間を無駄に費やさないように!」、「規則正しく生活        するように!」等のお言葉を頂いた。
   ・小林さんから、全員へ缶コーヒーが配られた。

2 野外調査の報告
 ・日 時 4月13日(日)、午前9時〜午後4時15分、くもり時々霧雨
 ・参加者 山本、宮崎、中島、阿部勇治(多賀町立博物館)、藤井(記録)
 ・集 合 午前9時;元宿の陸上競技場駐車場を予定していたがすでに来るまで満杯だったので、文化会館駐車場に変更
 ・目 的
  ●佐野市飛駒町
  ●田沼町白岩地域の地質調査…鎌田論文(1977)中のチャート・砕屑岩シーケンスの露頭確認とスラスト観察。
 ・内 容
   本日は、元桐生少年科学クラブ員の阿部君も同行、車1台で梅田廻りで彦間町へ。
  ●赤色チャートの崖観察


 田沼の中心街へ向かって、山形町へ入ってすぐの梅園町入り口のすぐ先の工事で崩された崖(写真)。全体が赤いチャートの互層状。頁岩部分は、実体顕 微鏡で覗くと、球形の放散虫化石が多い処もある。この赤い地層は、例の岐阜県各務原市の木曽川で見た美濃帯の地層とよく似ている。しかし、ほんの一 部、赤色でなく白色透明に近いチャート(メノウ状)もあった。
●田沼町白岩地域の細尾沢へ入る。鎌田論文の地質図にあるスラストは、1本も観察できなかった。チャートはすべて、灰〜黒色。珪質頁岩は、黒色で硬く 剥離性は少ない。Loc.A地点の奥(080413-5おく)の露頭で、確かにチャートと珪質頁岩が漸移している層もあり、黒色の層で、桐生・黒保根地域の  とも似ている。Loc.D地点(080413-4)の珪質頁岩中の“砂岩岩脈”を観察、チャートの小角礫が砂岩の中に入っている。珪質粘土岩は、なぜかここで も観察できなかった。

3 4/24の野外調査は中止
 ・4月24日(木)のフィールド調査は、雨天のため中止でした。この日予定の手振山調査…梨木泥流と古渡良瀬川は、改めて5月11日に実施。
 ・コノドント館の企画展に協力〜〜この日、急きょコノドント館から相談がある、というので9時過ぎにコノドント館に宮崎、中島、小林、藤井が集合。  荻原学芸員の話の内容は、「今年の10月頃から“コノドント”をテーマにした記念の企画展をしたいので、桐生地質の会に協力をお願いしたい」、とい  うことだった。当会として、できる協力はする、ということで館内を見学した後、一応解散した。
  この時点では、雨が上がっていたので、歩かないで見学できる処を見て帰ろうと、中島、小林、藤井の3人で、花輪中野の橋からメランジュ層を、黒保  根小学校で庭石の石灰岩を見学した。

4 “極楽とんぼ”記念碑を設置
〜故加藤さんが遭難された近くの尾根に板碑を建立した〜
・日 時 4月27日(日)、午前9時〜午後2時半
・参加者 山本、宮崎、中島、藤井、加藤さんの義父・長女・孫2人、楚巒山楽会ほか山の仲間達で計17人
 天神町の旧バス車庫に集合して、西方寺沢林道へ入り、名水柱碑(270m)の処へ車を止め、尾根を目指して登る。 尾根を鳴神山 方向に1.2kmほど行っ た、大形山頂(681m)の0.7km手前の尾根の小凸地に、桜の木で作った板 碑を設置して供花した。昼食後、碑の西500mほどの加藤さんが転落された 尾根まで行って下山した。

4の2 野外調査の報告
 4の板碑設置がてらの調査、および後日に西方寺沢を確認調査
・調査日 4月27・28日
・参加者 山本、宮崎、中島、藤井(記録)、28日は藤井のみ西方寺沢へ
・内 容…西方寺沢は断層の巣
 ●岡平山神宮すぐ手前道脇にペカペカ剥げる泥岩(頁岩)層に、マンガン採掘?跡か穴あり。
 ●270m地点の“名水の水源まで500m”の標識の柱までの長い道沿いの露頭は、砂岩入り泥岩メランジュ。異方向の断層多数。N70Eの断層は、断層ガウ  ジ50cm厚さで、泥岩層の走向傾斜と調和的。N70〜80Wの断層は、E-W方向のスリッケンあり。断層面が曲面のカーブになっているのもある。ここの  泥岩もペカペカ状で、頁岩と呼ぶべきかも知れない。しかし、断層による強い変圧で剥離性が生じた感じの泥岩。
 ●300m以降は、いわば溶岩主体の緑色岩地帯。枕状溶岩は見当たらない。特徴は、白い石英脈の断層が目立つこと。道路拡幅で露頭がよく見える処(マ  ップ記載のB地点)では、約10m中に7本もの厚さ2〜3cmの白い石英脈あり。さらに、この白い石英脈がズタズタにちぎれている(2次変動)のもあっ  た。
 ●上記緑色岩地帯の中、420m地点(二輪草が咲いていた処)にチャートあり。N75Eの断層のチャートの壁が小さな尾根を形成。全体に強く変質してい   て、チャートのフィルム部分が厚く赤色頁次岩になっている部分もあり、この赤色部には球形の放散虫化石でびっしりなのがルーペで見られる。南東部  では、ほぼ緑色岩に接する。
 ●小カレンフェルド状石灰岩体が、571m地点の尾根にあり。石灰岩のすぐ北側尾根は、また緑色岩。風化していて、一見砂岩に見える。
 ●極楽とんぼ碑の処は、細礫岩ともいえる粗粒砂岩。すぐ近くには、チャート礫岩、その西方は本来の砂岩あり。如何とも解釈できない層。
  ※この地域での全体の感じとして、断層が多くみな異方向なのはなぜか?

5 野外調査のお知らせ
・日 時 5月11日(日)、午前9時〜
・集 合 午前9時 大間々支所ロータリー駐車場
・内 容 桐原の手振山周辺の梨木岩屑流堆積物(梨木泥流)を追う

6 野外調査のお知らせ
・日 時 5月22日(木)、午前9時〜
・集 合 午前9時 大間々支所ロータリー駐車場
・内 容大間々塩原地域の梨木泥流の確認、時間があれば枕状溶岩も

7 桐生地質の会第1回編集委員会開催のお知らせ
・日 時 5月31日(土)、午後7時〜
・会 場 相生公民館
・内 容「桐生地質誌」の発刊に向けての作業開始のため、関係者全員。

8 その他のお知らせ
●往年の桐生少年科学クラブ員集まる
 ・84年7月に藤井の呼びかけで発足した桐生少年科学クラブは、“吾妻山野生い立ちを調べる”を主目的に活動、初代の会長が当会会員の清水勝さん(高  校1年)だった。その後活動した歴代の主なメンバー7名が、藤井の定年退職を祝して、4月12日に割烹「五大」に集まった。当席での阿部君の報告で   は、旧会員の築比地君はアメリカの大学で恐竜化石の研究をしている、…など懐かしい会員の消息を聞く。
●桐生地質の会の活動を報告
 ・4月20日(日)、午後1時〜前橋総合福祉会館で、地学団体研究会前橋支部総会・活動交流会で、藤井が「“桐生地質の会”の成果と問題点」をスライ  ド投影を使って報告した。妙義団体研究グループ、本宿陥没研究会、関東山地団体研究グループほかの研究発表もあった。関東山地で発表した保科裕氏  はかつてのコノドント団体研究会の懐かしいメンバーの一人だった。
  なお来年の8月には、この地学団体研究会の全国総会が下仁田を会場に開催される。
●校庭の石の説明…黒保根小へ


 ・4月24日、降るか降らぬかの小雨の中、小林さんの案内で中島さんと藤井の3人で、黒保根小学校の庭石を見学した。ウミユリ・ワンソク類・巻き貝・  フズリナの化石が入った見事な石灰岩。おそらく、近くの八木原か赤面方面から産出したもの。時代は化石のパラフズリナから古生代ペルム紀。教材に  使えるように、藤井が写真を添えて、この石の説明を学校にお届けした。

08年5月5日刊

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