桐生山野研究会の記事のアップを三個続けたので、自分のところも何かアップしようと思ったのですが、こうチョコチョッとできるものがないのですよ。榛名山などけっこう登っているので、臥牛山とか五万石とか私好みの山があるのですが、“やまの町 桐生”を標榜している以上、あまり手を拡げるのは何ですし、この辺りで何か見繕ってみようと。

みやま文庫発行の須田茂著『群馬の峠』を入手したので、パラパラとやってみると、ありました。住吉峠、山谷戸峠、木落峠の三つが近場のお薦めとは書いてありませんが、我が家からは至近です。山谷戸峠はず〜っと怪しいと思っていた場所です。念の為、山の師であるhisiyamaさんに尋ねると、木落峠は、跡形もなくなっているが、山谷戸峠は面白いところがあるので案内してあげようと言ってくださったので、ありがたく案内していただきました。

泉龍院か菱公民館に駐車。“かたくりの花一面のでんべ山”の登り口を目指します。住吉台の登り口ではなく深山地区の登り口です。目指した登り口ですが、通り過ぎます。車道が突き当たる手前を右折棚田の左手の山道をはいります。左にお地蔵様、右にため池を見て、植林帯を抜けると雑木の中の道になり最後の急登をこなすと山谷戸峠(地元では柳谷通り)です。『群馬の峠』を読むまで、ここを山谷戸峠とは認識していませんでした。すぐ下に車道が透けているので上小友方面へ抜けられそうだとは思っていたのですが、そうか、峠だったんだ。感慨に浸る間もなくhisiyamaさんは、薮に突入していきます。イノさんが通ったあとがあり、文字通りの獣道を下ります。数日前にここからでんべい山方面に進んだところで、イノさん親子にお会いしたばかりです。こんなところを通ってたんだ。先月には桐生川右岸の“いわゆる街中”(私は賛成しませんが)のケーキ屋さんにイノさんが飛び込んで何処かへ去っていったと夕刊地方紙に載っていました。
少々の薮漕ぎで車道に降り立ち左折です。突き当たりの空き地の奥にちょっとした岩山がありました。基部に二つの石祠、中腹にも石祠が一つ、基部の石祠には幣帛が供えられていて、信仰が続いているようです。岩場の一番下にも屋根だけの岩舟石で作られた石祠。尾根を目指して薮を漕ぐと朽ちかけたブルドーザー道にあい、そこから一登りで山谷戸峠の北に出ました。山谷戸峠からブルドーザー道を下ってゆくと先ほど薮を漕いで下った道の下に出ることができました。山谷戸からと上小友からの入口を確認することができ、山谷戸峠越えは完成です。

下ってゆくと左手に倒れた庚申塔があります。この先が住吉峠(地元では赤坂、赤坂峠とも)の入口です。舗装された道ですが、入口付近は趣があります。頂部には鷲神社の社があり、下ってゆくと菱公民館の正面にでます。
菱村史では大鷲神社=住吉峠の頂点に在り11月の酉の日にお祭りする故俗称お酉様と呼んでいる。ということです。ついでに、山谷戸峠=神谷地区から黒川を渡り、柳谷に出るのであるが江戸時代は神谷地区も一色地区も相当人家もありて発展しておりまた柳谷に入りては名主山越源右衛門なる大きな屋敷もあり、更に峠には十王堂なるお堂もあり、この峠を越せば上小友に出られるので、昔は江戸との交通ありしところであった由なり。とあります。赤坂の地名については住吉の下の坂道を赤坂と云い峠にて合流する。細川内膳の頃在坂(ありさか)右京の屋敷ありたるによりこれが訛って赤坂と云い、とあります。もう一つ序でに、雷電山と八王子山の間の県道坂西桐生線の坂は八王子神社があることから八王子坂と呼ばれているそうです。資料提供はhisiyamaさんでした。ありがとうございます。
山谷戸はやまがいとでしょうか。

2007/4/8 山谷戸峠にプレート設置
 山谷戸峠道は、距離は短いですが、峠越えの雰囲気を味わえるなかなかの道です。保護されることもなくひっそりと咲くカタクリの花もなかなかの風情です。

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