毛野時報第十号(昭和11年6月発行)に次の一文があった。“赤城登山道十餘條中過半は山麓登山口に鳥居があるが、此の登道のみ僅か一里を隔てて一の鳥居と二の鳥居があって、而も頂を鳥居峠と呼んでいる處を見ると、これが表参道であって一番古くからあったものであることも想像される。其處が鳥居峠と呼ばれた由来と成るであろう。”(岩澤正作/赤城山に関し某氏の質問に答ふ 原文は旧字旧仮名遣い 以下引用文同)

静かな山道が好きなので、利平茶屋から鳥居峠、花見ケ原から黒檜山が赤城山行の定番となりました。利平茶屋に向う主要地方道!上白井大間々線を走るたびに日本の将来に暗澹たる思いを抱いていました。ご案内の方もいらっしゃるでしょうが、ああた、それは非道い道で、あたしなんざ林道だとばっか思ってました。という主要地方道大間々上白井線にみる日本の先行きなんてことをこれから縷々開陳していきますので、ご用とお急ぎでない方しばしのおつき合いを願っておきます。

鳥居峠道は赤城山の表参道か?

で、ページタイトルです。やはり毛野時報、こちらはなんと創刊号(昭和9年6月発行)です。お馴染みの岩澤正作さんが『赤城山廻遊案内』を書いています。

“一ノ鳥居は赤城山縣道と沼田・大間々線縣道(舊根利街道で高山先生が北上紀行に通過された道である)の會點で、路傍に石鳥居を建て、赤城登道に沿うた渓流に菫橋を架け、橋下に懸かる瀧を菫滝と呼んでいる。蓋左岸橋の袂に「山路来て何やらゆかし菫草」という芭蕉の句碑のあるに因んでつけたのである。”

二の鳥居の前を通るたびに一の鳥居はどこにあるのか気になっていました。芭蕉の句碑の存在も知ってはいたのですが、まさか橋や傍のお豆腐屋さんの名前の由来になっているとは思いませんでした。おいしいお豆腐屋さんです。菫滝も見ておかなくては。

“一ノ鳥居から左折して進む、地盤は赤城山の裾野で火山屑からなり、未だ固定せざる新道を辿るので自動車の動揺を免れないが、兩側は概して新開地で展望に富み、原野及び林中にはツツジ類が多く自生している、斯うして道を進むこと約半里で鍛冶坂に着く。(中略)鍛冶坂を下り下田澤の開墾地を過ぎり、約半里ば仮進み橋を渡ると、左側に兜岩と呼ぶ一大岩塊がある。今其上部を破壊して全貌を損したが、形によって名けたもので、二荒神が山頂から盗み出したものと傳えている。目前に二ノ鳥居が見える。二ノ鳥居を出ると右に彎反岩(ヒケソリイワ)の障壁が列なり、左は鷹の巣の岩壁が鳥居谷を隔てて障立している。共に岩壁にツツジ類がかかり花季壮觀を呈する。此の風景を眺めながら十二三町進むと渓流に逢着する。此處を篠倉と呼び山中の奇勝釜の澤に發源している。これより約二町餘で利平茶屋につく。利平茶屋は此登山道の馬返しでこれから全く山路に入る。二町許登ると左に舊道がある。”

主要地方道!大間々上白井線て、こんなことになっていたんですね。いままで、あ、二の鳥居だ位にしか感懐のなかった道ですが、これからはこころして走らなくては。主要地方道大間々上白井線をゆっくり走っている車にあってもあおらないように。で、主要地方道大間々上白井線は利平茶屋〜鳥居峠間が不通です。これは一生涯不通であることを願っておきます。くるまで鳥居峠に行こうなんて金輪際思いません。立派に自分の二本の足で歩いてゆきます。道が急だとか泣き言はいいません。どうか、どうかここに税金/道路特定財源を使おうなんて思わないでください。

先日、山崖の滝見物に出かけました。雨の多い年なので、期待していったのですが、期待通り壮観でした。新しい道標がケーブル駅跡の軌道上と山崖の滝の手前に建っていました。
ケーブル駅跡前の広場には何台もの車がとまっていました。山崖の滝に向う橋の上には頭の悪そうなお子さまたちが鈴生りで写真も撮れません。一般車は何時からここまで入れるようになったのでしょうか。桐生の方の●ーイ●カウトの野外訓練のようでした。野外訓練なら正規の駐車場からここまでくらい歩かせろよ。●ーイ●カウトとその指導者?は場所を占拠して避けようともしません。にしても、●ーイ●カウトの野外訓練も保護者同伴なんですね。自宅からそれぞれの車で現地に集合したようです。日本の未来に暗澹たる思いを抱きました。

で、鳥居峠道って赤城山の表参道ですか?

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