あらとふじやま。下の写真をご覧ください。見るからに古墳です。低山、小山好きの私でも、これを山と強弁するのは流石に忸怩たるものがあります。この物件は梅化桜天神山を探す際に発見しました。明らかに古墳なので、一応写真は撮っておいたのですが、標柱にも荒砥富士山古墳と刻まれていいることですし、オクラ入りにしておきました。
ところが、新里村教育委員会の「資料集赤城山麓の歴史地震」で“阿久山の南東400mの位置に富士山と呼ばれる泥流丘がある。産泰神社の周辺にはこの他にも伊勢山、丸山、中島というように、火山泥流丘が、地形と関係の深い地名とともに多く残っている”との一文を見つけてしまいました。山だったんだ。
件の資料集は弘仁9(818)年に発生した地震とその災害を研究したものです。それを山名のピックアップだけに使用しています。正に猫に小判。
山頂(というのも気が引けますが)には正一位勢多稲荷と刻まれた碑が倒れています。富士山よりも稲荷山の方がしっくりきます。古墳には見えますが、とてものことに富士山には見えません。まごうことなき円墳の形をしています。伊勢崎のお富士山古墳のほうが、富士山に見えるかどうかは別として、山の雰囲気があります。
当会が古墳を山かどうかを判断する基準は、墳墓ができる前から山だったかどうか、人が築いたものかどうか、です。で、お富士山は古墳で、荒砥富士山は山ということになりました。

前橋西久保線を進み、西大室の信号を過ぎ、デイリーヤマザキのある信号を左折、苗ヶ島飯土井線に入ります。神沢川を地田栗橋で渡り、右折、右手に荒砥富士山古墳の案内板があります。駐車は路肩ということで。
で、北西400mにある阿久山は見つかりませんでした。当時は知らなかったもので。

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