中島太郎さんの「北の郷物語(岩花文庫発行)」の四十七話『江川の大神宮』に“月谷町に程近い江川町の山上にある大神宮は、江戸時代に地元中島家が伊勢神宮遥拝のため勧請したと伝えられています。”と書かれていました。気になって探してみたのですが、足利に土地勘のない悲しさ、見つけることができませんでした。
“GD OF FIRE”さんが“県道284号線を北上して行くと、袋川と交差する辺りに三辻橋という小さな橋が架かっているのだが、その橋の手前、284号線の左下に天照皇大神宮と刻まれた社号標石が建っている。”とブログに書かれていたので、地図で確認して勇躍向いましたが、やはり発見できません。思い余って、巌華園で道を尋ねた所、なんと北の郷物語の著者自ら案内をしていただきました。お忙しいところ、お手間をとらせてしまって、大変恐縮しています。本当にありがとうございました。

松田大月線を北上し、江川町を外れる辺り、袋川に三辻橋がかかっています。わかってしまうと赤御影の欄干で、見落とすのが不思議。三辻橋の手前で左に下る道があります。下ってゆくと立派な石の標柱が一対。上記の天照皇大神宮と刻まれた社号標石です。駐車はこの前の空きスペースに。ここがどうやら大神宮の参道らしいのですが、住宅の裏手と塀の間の路地のよう。草ぼうぼうで、とても人の歩けるような場所ではありません。暴虎馮河の勇を振ってじめじめした路地を突破すると山際にぶちあたります。エイヤッと乗り上げると、薮の中に参道がありました。篠竹が蔓延り、落葉で埋まった参道をすすむと、立派な石の鳥居が健在です。石段も現われます。石段の先にはやや平坦な場所。その先の一段高い場所には、今にも朽ちそうな木の祠、大神宮様の外宮(げくう)、屋根は瓦葺きです。内宮(ないくう)はその少し奥の石祠。隣は土台だけ。お稲荷さんの跡でしょうか。小さなお狐様が転がっていました。その隣に石祠、三峰様のようです。一番右に石橋を作った際の石碑。
お宮の上の小広い場所が、大神宮の山のピークです。ピークから伸びる尾根は阿部山を経て江川町の雷電山に続いています。
案内してくださった、中島さんからは大神宮様のお社を復活させる計画があると聞きました。山の名前を尋ねたのですが、ないとのことです。勧請者のご子孫がないというものに名前をつけるわけにはいきません。よって、大神宮の山としました。

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