ようがいさん(ごらんだじょう)。城趾関係者の中では有名な城跡のようですが、意外なことに山登りをされる方の間では、あまり語られることはないようです。旧東村は城跡としてだけとらえているようですが、私にしてみれば、立派な山でした。山を歩く時には、刻まれた登路のありようや山頂の佇まいなどに五感が向けられていて、辿り着いた山頂が城かどうかにはあまり関心が向きません。関守口から登り高橋口に下山する周回コースで目にした二種四枚の案内板には、上杉謙信、北条氏政、由良国繁などの名前がありましたが、いつ頃築城され、いつ頃廃城になったかは書かれていませんでした。
展望台と称される、石祠と東屋のあるピークにある説明板に五覧田城跡として“渡良瀬川と小黒川にかかえこまれた山地の南端要害山に立地、本丸(東西五〇メートル幅一六メートル)は標高五九二・九メートルの山頂にあり、”と書かれていて、越えてきた三角点のある山頂が要害山であったと知ることができます。

国道122号線を日光方面に進み小黒橋をわたり、みどり市に入ってまもなく右手に五覧田城を示す案内板があります。幾つか名所が書かれているので見落としがちです。左の斜面にある善雄寺を示す赤御影石を目標にするとよいかも。左折して細い道を進むと三叉路になります。駐車はこの辺りの空きスペースに。
道標に従い関守口をめざします。舗装された林道を進むとT字路にいたり、御影石で作られた道標があります。御影石の産地とはいえすごい。直進すると五覧田の砦の跡地関守に。要害山の登山口関守へは右、大久保林道に入ります。舗装された林道ですが、車の通行はあまりないようです。紆余があり、曲折を経て関守登山口。山頂まで700mと740mと二本道標があります。道は一本なのに。700mの方を信用して、ここから山道です。植林の道を抜けると道は尾根道に変わります。この辺りにも山頂まで500mと540mの二本の道標があったのですが、確認できませんでした。尾根を緩やかに登ってゆき、堀切と思える場所を過ぎると展望台へと書かれた道標の立つピークに。裏には中山峠を示す道標が括り付けらています。三等三角点があり、ここが要害山の山頂です。ぜひとも山名プレートの欲しいところです。以前にプレートをかけたこともあるのですが、すぐに外されてしまいました。五覧田城の関係者は山と呼ばれるのがお気に召さないのかしら。中山峠方面に尾根を進むと黒保根から登れそうです。要害山の山頂は桐生市とみどり市の境ですから、楚巒山楽会としては桐生市からも登ってみないといけません。要害山の山頂には赤城山方面の展望板が立派な黒御影石で作られて置かれていました。流石東村、御影石の産地。
山頂から鞍部に下り登り返すと(ここも堀切ですが、山を歩く身としては鞍部です)東屋のあるピークです。中央の盛り上がりに秋葉宮と石尊宮の石祠が置かれています。ここには、何と御影石づくりの展望板が三面、富士山、袈裟丸山、三境山を示しています。その他に東西南北を示す大きな御影石、これは、コンパスを持たない楚巒山楽会のために置いてくださったのでしょうか。その前には御影石のベンチ。御影石の大産地を誇示するかのように、石祠のお賽銭箱まで御影づくり。五覧田城跡の標柱も勿論御影石。関係者は展望台としていますが、古くからの呼称、石尊山と呼びたいものです。渡良瀬川の流れを見おろし、心地よく時間の流れる山頂です。高橋口を示す道標はありませんが、しっかりと刻まれた道を下ります。途中、ガ−ドレ−ルに出合いますが、戸屋沢橋口から登る際の駐車場です。ここにも御影づくりの説明板が。植林帯に入り下ってゆくともう一つ、御影の道標。脱帽です。山道が沢に沿うようになると高橋深ぐな林道はすぐ。高橋登山口に出ます。ここもほとんど車の通らない林道歩きでスタート地点に。

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