どうやま。「赤城山花と渓谷」を書いた青木清さんが、「粕川渓谷をたずねて」という写真集を出されています。赤城の小沼に始まり、境町の広瀬川との合流点まで75ポイントの写真が掲載されている楽しい本です。その中の『五目牛の牛石(赤堀)』に“赤堀町五目牛の粕川に架かる五目牛橋を渡り右岸を北に100mほどゆくと、小高い丘の裾に大きな石が数個点在している。伝承では、源義経が京から奥州へ行く途中、粕川の岸に来たとき、川は大洪水で渡れず、やむなく民家に一泊した。その時、つれていた牛が激流にながされ、姿を消した。翌朝水の少なくなった川辺に水死した牛が伏せるように巨岩となっていたという。この牛石には半肉彫の薬師如来像と梵字が刻まれている。”と書かれています。
小高い丘に反応しました。ネットで調べてみると小高い丘は胴山。ちゃんと名前がありました。中腹に古墳がありますが、全体は山です。
もともと赤城から流れてきた山にどなたか勝手にお墓を作ってしまったようです。旧赤堀町も小山の宝庫で、古墳と峻別できるものを紹介してゆきます。

国道50号線を前橋方面に向かい、西久保(赤堀小学校)の信号を左折、大間々伊勢崎線に入ります。三和の信号で右折、粕川を五目牛(ごめうし)橋で渡るとき、右に見える丘が胴山です。駐車は橋周辺の空きスペースに。
橋を渡り舗装道を進んでゆくと、電信柱に牛石を示す道標が付けられています。道標に従って右折。突き当たり左側の巨岩が牛石。梵字の刻まれた岩が胴山の斜面にあるはずなのですが、薮の中に埋もれています。説明板のある方向から見ると、倒れた牛の後ろ姿だと、ご近所の方に教えていただいたのですが。う〜ん。牛の本体にも梵字が刻まれていました。他にも何か刻まれているようですが、判然としません。
牛石の脇の作業道を登ってゆくと、薬師如来の刻まれた岩が右に転がっています。ここら辺、他所のお家の畑の中のようで落ち着きませんが、畑から薮に突入します。手入れをしたことがある(昔昔)ような竹林を抜けると非のうちどころのない薮です。一応一番高そうなところまで登ってはみたのですが…。山頂には赤城神社の跡があるということなのですが、見つかりませんでした。平地にあっては目立つ山で、東道(あずまみち)の目印になっていたということです。
周囲を畑と民家に囲まれている山なので、登りにくい山でした。良い子は薬師如来までで止めておいた方が良いかも。

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