はなれやま。山と名前がついているので、登っては見ましたが、ほとんど山の体をなしていませんでした。北関東自動車道と瑞泉院の墓地にはさまれて尾根がかろうじて残っています。北関東道が完成すると尾根よりも高く壁が立ちはだかることでしょう。それはそれで不思議な光景になりそうですが。
離れ山の由来は、続々足利の伝説(台一雄、岩下書店)の第24話に書かれています。“大昔、渡良瀬川の洪水で、山の真ん中が押し流されたため、中間に平地ができて、瑞泉院のある山が内郷山から離れてしまいました。だから離れ山というのだそうです。”離され山のほうが当たっていると思いますが。
瑞泉院の開基は新田義貞ということで、本堂の横には新田義貞の墓が作られていました。足利市内は足利氏一色だと思っていましたが、このくらい郊外にくると新田氏の復権もあるのでしょうか。

桐生岩舟線を足利に向かい、北関東自動車道を潜るとすぐに瑞泉院の入口看板があります。看板にしたがって右折。右に見えてくる広い駐車場が瑞泉院の駐車場です。
離れ山は、墓地の最上部をめざして適当に進むと到達しますが、観音堂の脇から竹林と墓地の間の道を進むと、若干山登りの感じになります。頂上には大きな木が一本たっていて、ここだけ見ると山の頂上の雰囲気が残っています。工事中の北関東自動車道が目の下です。北には切り離された本体の内郷山と崖山?。こうしてみると、渡良瀬川によって大きく切り通されたことがわかります。
この切り通されたところを婚礼の行列が通ると必ず夫婦別れをするという言い伝えがあって、鹿島から五十部にむかう行列は離れ山の南の嫁っ子道を通ったそうです。

離れ山は50mの等高線に囲まれていますので、標高は60m未満ではありますが、登りでのない山です。墓地を作るスペースがないがために、若干の尾根の存在が許されているに過ぎません。東の斜面は墓地で埋め尽され、西からは北関東道に遮られて山が見えません。北から眺めるとわずかに丘であることがわかります。北関東道からどんな風景になるか一度は見てみようと思っています。切り崩されて無惨に山肌をさらしていた内郷山も、北関道の完成に向けて、山肌の修復がされています。車で下を通過する時に緑の山に見えたらお慰みです。

離れ山も足利百名山に選定されていますが、ここはご一考を願いたいところです。山ではないとはいえませんが、登ることをお勧めできない山ではあります。

inserted by FC2 system