ひうちざか。孫引きになるので引用は避けたいところですが、須田茂さんの『群馬の峠』の日光坂峠(にこうざかとうげ)の項に“『県歴史の道調査 足尾銅山街道』では、手振山地区から上桐原へ下る坂を「ひうち坂」としており”とあります。また、同氏が『月刊上州路』に連載している「群馬の峠を歩く」の「座間峠と、桐生周辺の諸峠」(2004年4月号)には、“「燧坂」は本来的には本峠から桐原よリに下った段丘崖にある坂を指した名であるらしい。”と書かれています。
この辺りの考察は激坂さんの『電撃! 激坂調査隊が行く‐東上州ヒルクライム日記‐』の“燧坂峠(日光坂峠)の巻き”に詳しい調査報告がありますので、私の所では、概念図の赤線の道が燧坂であろうというくらいで。

元雷電山の項で、手振山からの下山は、燧坂が良いですよと書きました。どれ位良いかの紹介をこれからするのですが、沢沿いの狭い舗装道です。サンダルで歩くならまあまあですが、あまり車が通らないこと、一周して桐原配水池に戻れること、がとりえの、あまりはかばかしくない道です。冒頭に引用した“手振山地区から上桐原へ下る”ならの言を頼りにして、ま、昔から下るならこの道だろうと、下り専用ということで。

下山口は、瀬戸ヶ原公民館の横です。沢沿いの道ですが、沢は整備されているので、風情はありません。途中にhisiyamaさんの発見になる『名号岩(みょうごういわ)』があります。燧坂の唯一の見どころでしょうか。大きな岩の岩面中央に南無阿弥陀佛と彫られています。その右には日付け、左に願主の名前が彫られていますが、判読できませんでした。
瀬戸ヶ原の奥、銅山街道に道標があるのですが、昭和になってから設置されたものです。この名号岩の名号は江戸時代に彫られたものでしょうから、これだけが、昔からこの道が歩かれていたという証拠といえます。銅山街道もここではなく、遠入坂(えんにゅうざか)を通っていたようですし、燧坂は昔から上桐原と手振山地区を結ぶ生活道路だったのかな。登っていくのはきつそうだけど。

2008年5/22 hisiyamaさんのお骨折りで、名号岩の名称と刻まれた文字が判明。名称は磨崖名号。文字は左は『元禄己卯(つちのと・う)天八月』、中央は『南無阿弥陀佛霊位』、右『見妙心禅定尼』。通称『念仏岩』で、大間々町誌にも載っているそうです。元禄己卯は、元禄12年。西暦では1699年、ざっと300年前ですね。

inserted by FC2 system