ふたばかんのんやま。明治44年に発行された『金山(今泉訓太郎編太田中学校校友会)』に“天神山の北に當り、金山登路の東に沿うて一小丘あり。之を觀音山と稱す。”とあります。
『金山』という書籍は、すずき@東毛さんが、桐生図書館の郷土資料コーナーから発掘した、なかなか貴重な書籍で、太田の金山の峰々の名前が数多く記載されています。概念図中の太郎四郎(たらし)山もその一つ。既登の山なので、近々紹介する予定です。

太田の水道山から受楽寺に下ってゆくと、野球のグラウンドの傍にこんもりした丘があります。太田市の一万分の一地形図を見ると山頂まで道がついています。もともとは尾根が続いていたのでしょうが、野球場と道路で主尾根とは切り離されています。よくぞ、削平から免れたものです。観音さまの霊験でしょうか。
金山青年の家と富士が丘病院を繋ぐ尾根上にあった富士山(ふじやま)は、すっかり削平されて、富士が丘病院の名前だけが、ここにかつて富士山のあったことを知る縁になっています。

金山城趾線を太田市街方面に進み、呑龍さまの大光院を過ぎ、金山町の信号の手前の十字路を左折、突き当たりに双葉町会館があります。駐車は双葉町会館の駐車スペースに。駐車スペースのすぐ先に庚申塔や石仏がまとめて立てられている一画があります。その先が観音山の参道です。石段を登り左にカーブすると露岩の趣ある登路。山頂には観世音の文字が彫られた石と石に刻まれた観音様。八王子山と金山の展望。振り返ると八幡山や天神山が。球児の声が聞こえるのは、チョッと興醒め。
小さな山ですが、おすすめです。

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