「粗忽長屋」ってぇ落語がございまして。熊五郎が、これがおまえだといわれた行き倒れの死体を抱きながら「抱かれているのは確かにオレだけど、抱いているオレはいってぇ誰なんだろう」というオチの、まァ粗忽者が揃うと不条理は極まってゆくというお話。講談社の落語全集と、お江戸は神田橋本町、砂絵のセンセーひきいる「なめくじ長屋」のご一統が活躍する読み本で、聞いたことがあるような気になっている大好きな落語のひとつです。

粗忽者というのは時代が変わってもおりますもので、「古墳に連れてってやらぁ」「おお、連れってってもらおうじゃねぇか」と出かけた粗忽者、確かに行ったは行ったのですが、何を見て来たんだか、帰って地図など眺めれば「登ったのは確かだが登ったところはどこだろう」などと恍けたことを言うはめに陥ります。

大室古墳、被葬者は今のところ不明。第10代崇神天皇の長子豊城入彦命(この辺の神社でおなじみです)の子孫の古墳とも、第26代継体天皇の時代に東征しにきた勢力がそのまま土着した氏族の墓域とも。6〜7世紀にかけての大きな前方後円墳が複数あり、藤岡市や笠懸町天神山産出の石や土が使われているというのですから、大きな勢力を持って長くこの地で栄えた豪族だったのでしょう。
今は桐生市よりは栄えている前橋市が力を入れて整備しているので小綺麗な公園です。子供さん連れのお散歩に、あるいははるか古墳時代に心を飛ばして一刻のご休息に。

で、山です。色々聞いてみたのですが「あれは二子山の裏山だよ」(ご近所の方談)とか「石の山でいいんじゃない」(古墳好きの方談)とか「名前はないんじゃないですかぁ」(市役所の方談)とか「ちょっとそれは判りかねます」(同じく市役所の別の課の方談)とかで、捗々しい成果が得られません。調査方法に問題があるというご意見はごもっとも。ですが、すぐ近くに石山・七ツ石・産泰神社がありますので、ここも赤城の流れ山で「石の山」でもいいのかな。この山から古墳の石材を取ったと掲示板でMURYさんにも教えていただいたので、大きな石が頂上に積み重なっていたのかもしれず、ぴったりの名前かも。ちなみに前橋市の白地図で見ると150mの基準点のマークがあります。ちゃんと行く前に調べて確認してくればよかったんですが。

大室公園の北駐車場のすぐ右側に石を敷いて整備された道があります。小別れしていますが、一番高い方を目指して歩く。だいたいここへ来てこの山だけに登るのは楚巒の馬鹿くらいしかいないでしょうが、なんと言われようとここだけに登ります。しかも頂上はありません。古墳の材料を取り出した跡がかなり深く、広く抉れています。水はけが良さそうなのはまだ大石がこの下に眠っているからかしら。凹みの中央に水琴窟が造ってあり、雨の日にはいい音がするのかも。そのぐるりを周回する道があり、そんなに古くはなさそうな(6世紀や7世紀のものの横ではたいていのものは新しい)石祠がちまっとひとつ。下の沼を渡ってくる風が心地よい道です。秋風がたち始めたら赤城登山のついでにいかがでしょう。

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