じっかんやま。「やまの町 桐生」で峠を紹介する際は双方向からの峠道を紹介して、○○峠越としています。駒転峠は十貫山に作られた住宅団地(桐陽台)と産廃処分場により峠のかたちが失われ、越えることができませんでした。ところが、桐生の民話を集めた『黒幣の天狗』というサイトの「灸点稲荷」の項に、“菱小学校の南方、上平の地に入ると、開発ですっかり姿を変えて住宅団地になってしまった十貫山とは対照的に、緑の木々に囲まれた宇都宮神社ののどかなたたずまいが、その山麓に姿を見せてくれる。 〈中略〉その社殿の裏手を細い生活道が東側山腹へ向けて通じている。駒ころばしを経て風穴へ出る道である。八王子峠を越える県道が開通するまでは桐生―足利を結ぶ主要道路であったが、今は人通りもほとんど無く、あたかも山道のように変貌してしまった。”とありました。

辿ってみると、山道は言い過ぎですが、車の通りも少なく、桐陽台の手前では、舗装路ですが車の通れない道になっています。広見橋の北の黒川にかかる辨天橋から黒川沿いの道を併せてお散歩コースとして紹介します。
坂西桐生線の菱小学校の信号で南に入ります。すぐのT字路で左折。この道が旧道の駒転峠道のようです。進んで行くと左の高台に数体のお地蔵様のいる地蔵堂、その先の斜面にはくずれた石祠が二つ鎮座しています。右に入って行くと宇都宮神社の境内です。拝殿の前の石灯籠がフェンスで囲まれています。この石灯籠は囲っておかないと夜な夜な歩き回ったりするのでしょうか。不思議な光景でした。応永19(1412)年、細川丹後守が勧請したという伝説があるそうです。祭神は事代主命。
旧道に戻り、進んで行くと、左に灸点稲荷。菱町かるたの“霊験あらたか灸点稲荷”の説明板がたっています。境内を抜けるとささやかな園地、ベンチがあり、風が吹き抜けています。
旧道に戻り、進んで行くと桐陽台に突き当たります。“目にうかぶ十貫山に桐陽台”
“黒川に紅い欄干辨天橋”、橋の由来の説明板には、広見村と橋を守ってもらうために寛延2(1749)年に、辨天様の石宮を祀り、辨天橋と名付けたと書かれています。橋は今できのものです。“杉木立菱の鎮守の宇都宮神社”、鎮守の守の中の神社を想像していくと失望します。からっとした明るい境内です。

駐車は宇都宮神社境内、広見橋周辺にできますが、旧道を歩くなら菱町公民館がよいでしょう。

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