らいでんやま。柄杓山城の坂中曲輪に、その昔、地元に住む女性が担ぎ上げたと伝えられる大きな石祠が鎮座しています。雷電様の石祠です。
日枝神社からの尾根が大手とされ、坂中曲輪を経て城山の本丸へと至ります。このコースが、いわば正門からの登り口なのですが、城山林道に駐車場が設けられ、搦手から三の丸を経て、頂上である本丸に至るコースがメインとなっていました。城山遊歩道と呼ばれ、簡単に歩ける道ですが、散策コースの域を出ず、あまり面白くありません。
日枝神社からのコースも柄杓山の項で、ざっと紹介しているのですが、案内板が設置されたので、改めて紹介します。

田沼桐生線を進み、桐生女子高校の信号の先、左側に日枝神社入口の道標があります。細い道を入り、突き当たりが日枝神社。柄杓山城の守護神で1180(治承4)年に桐生氏の祖桐生六郎忠利が近江国日吉神社の分霊を勧請したと伝えられています。広場が駐車場です。県指定天然記念物の大くすのき群の下に柄杓山城跡遊歩道と書かれた案内板があります。梅田丘陵登山森林レクリエーション基地とも書かれています。お役人様がまた税金の使い道を発明したようです。

レクリエーション基地になったお陰さまで、多少は入口がわかりやすくなりました。神社の脇を抜けて、尾根に取り付く地点にも同じ看板が建てられているのでここもわかりやすくなりました。こんな立派な看板はいらないのに。倒木をやっつけてくれた方がよっぽど。この歩いている尾根が大手(追手)なのですが、遺構は判然としません。明るい尾根です。すぐ下に街並が見えます。時折、柄杓山の頂上も顔を覗かせます。桐生川の対岸の仙人ケ岳の尾根を高く見上げる登りです。大きな岩の脇を通り、道が杉林の中に入ると坂中曲輪です。登り切ったところが城山から降りてくる尾根の結合点で、ちょうど杉並み木のように両側に杉が立ち並んでいます。一番奥に石造りのお社、立派な雷電神社が鎮座しています。神韻縹渺とした雰囲気です。パーツに分けて担ぎ上げたにせよ、ここまで持ち上げた労力には脱帽です。信仰の力でしょうか。お社の奥には普通サイズの石祠があります。何の神様かは判りません。
踏み跡は雷電神社の脇を通って柄杓山に続きます。柄杓山と雷電神社の間に僅かな高まりがあり、その先が大きくえぐれています。堀切の跡でしょうが、鞍部とみなせばこの高まりが雷電山ということに。

来た道を結合点まで戻り、左折。杉林の中を下ります。無住の薬王殿を目指す道です。薬王殿尾根とでも。三の丸から西方寺に下る道に並ぶ野趣のある道です。時折梅田の奥の山々の展望がありますが、淡々とした下りです。尾根の末端近くで右に下る踏み跡に入ります。杉林の中、倒木で一部踏み跡が乱れますが、下って行くと薬王殿の墓地の上に飛び出します。民家の塀の脇を通り、ぶつかった細い舗装道を右にとると、出発地の日枝神社に戻れます。


桜で有名な城山(柄杓山城跡)に、初冬になるとさざんかの咲き誇る道があります。城山林道の一番奥の木工所の手前から山に入る道です。城山林道を歩いているハイカーを良く見かけますが、舗装された林道を歩くことが好きな人は別として、山を目指すほどの人なら、なるべく山道を歩いていただきたいものです。城山林道も荒れてきて、車にもハイカーにも優しくない道になっています。楚巒山楽会では、城山だけが目的の時は城山林道を車で登るアプローチは禁止になりました。
サザンカの道としましたが、もちろん一年中サザンカの道であるはずもなく、碧雲寺の先から城山の二の丸に至る道です。半ばは植林帯の中の道ですが、舗装された林道を歩くよりもどんなに歩きやすく楽しいか。
概念図の民家の脇から登る道です。駐車地は日枝神社か碧雲寺にして、周回コースとすると楽しい半日コースになります。碧雲寺から城山林道を登ってゆくと木工所の手前、左に登る舗装された道があります。他所のお家に入ってゆくような道で進むのが躊躇われますが、お家の手前で右折、すぐに檜か杉の植林帯の山道になります。尾根上の道で、しっかりとした踏み跡がつけられています。植林帯がきれる辺り左側一帯にサザンカが植えられています。花の盛りの時はそれは見事なものです。左に伸びている作業道を進むと城山と雷電山の鞍部の少し上に出ます。この道を使っても城山に登れます。
サザンカの植樹帯を過ぎると道は再び檜か杉の植林帯に入り、城山の山腹を巻いて進み二の丸の堀切の上部に出ます。そこからは城山の遊歩道、左に進むと山頂です。
下の写真、上段の左は、坂中曲輪下山地の近くにある、旗竿の薮の石碑です。関ヶ原の戦いの際に梅田村の竹を徳川方に献上したという言い伝えが残っています。

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