二子山と大難峠、小難峠

増田 宏 

 袈裟丸山に隣接する二子山(1556b)は登山道が整備されず、賑わっている袈裟丸山に対して訪れる人も稀である。二子山は円錐形の二つの峰が並んでおり、西の頂が少し高く、三角点が置かれている。二つの峰の鞍部から東の頂にかけて花崗岩の巨岩が露出している。上州側からは見えず、古文書にも載っていないが、野州側の古文書にはその名が記載されている。江戸時代末期に著された下野國誌には「安蘇郡足尾郷の山つづきにて日光山より上野國へ越ゆる山中にあり」と記載されており、この山について三篇の和歌が記されている。

下野やふた子の山のふた心 ありける人をたのみけるかな
ながき夜に君とふた子の山のねは おくともしらず朝霧ぞたつ
二子山こえし人のかたみをも 今さらしのぶ月のかがみか

 この山は遠望できず、唐風呂周辺からしか見ることができないのでこれらの和歌は足尾の二子山ではなく下野にある別の二子山の誤りと思っていた。餅ヶ瀬の故神山門重氏に私の考えを伝えたところ、現在の国道からは唐風呂集落の北側付近で見えるだけだが、昔の峠道はもっと高い所を通っており、二子山がよく見えたので間違いではないとのことだった。昔の道が野州と上州の国境を越える所が大難(名)峠、小難(名)峠である。

*
唐風呂村絵図(部分)

 県界尾根から二子山
 学生時代の友人が訪ねてきたので昔の峠道を経由して両毛国境の県界尾根伝いに二子山を目指した。沢入トンネルの上州側から北側斜面の擁壁に架かっている網戸を開けて階段を登った。この先には踏跡が見付からず、沢溝伝いに行ったが、傾斜がきつく歩き難い。途中から左の斜面を登って標高750b付近で県界尾根上に出たが、旧道の峠よりも上に出てしまったらしい。県界尾根は藪がなく、歩き易い。植生は殆どがカラマツの人工林で明瞭な踏跡が付いている。1160bの三角点付近は大鳥屋(とや)と呼ばれている。登るにつれて花崗岩の露岩が現れる。節理で断ち切られたような見事な岩がある。さしずめ天狗の太刀割石とか呼ばれているのかもしれない。標高1350b付近の平は水流が流れ、絶好の幕営地になっている。地名が判らないので私たちはここを二子平と呼んでいる。
 ここから急な尾根を登り切ると二子山西峰(1556b)に着く。東峰へは少し県界尾根を戻って北寄りに下る。鞍部付近から花崗岩が分布しており、カラマツの斜面を登ると東峰山頂に着く。西峰から10分ほどである。山頂には卓のような台状の花崗岩があり、東側には三角錐状のチョッケン岩がある。鞍部に戻ってカラマツの斜面を東側に下ったが、唐風呂方面から付けられていた二子山歩道は道形も定かではなくなっていた。沢伝いに下ったが、二子平を通り過ぎてしまったので標高1220b付近から右の山腹を登って県界尾根に戻った。標高1120b付近で誤って枝尾根を下ってしまい、途中で気付いて登り返した。ここの下りは間違い易いので注意が必要だ。この先は針路選定に苦労する場所はなく、標高800b付近で尾根が曲折する場所も踏跡が明瞭なので迷う心配はない。標高700b付近で道形が尾根を横切っている場所が大難(名)峠と思われる。唐風呂村絵図には峠に境界杭が画かれ、「御実杭 下野國安蘇郡足尾 従是東日光御神領 従是西御代官吉川栄□□□上野國勢多郡沢入村」と記されている。
 ここを過ぎて尾根をまっすぐ下ると送電線の鉄塔に出る。峠に戻って足尾側に峠道を下ったものの、まもなく道形を失ったので、斜面を横断して鉄塔下で尾根に戻った。ここから尾根伝いに下り、廃棄物中間処分場(足尾クリーンセンター)に下りた。ここからは国道のトンネルを潜らず、渡良瀬川沿いの旧道を辿ってトンネルの沢入側入口に戻った。

 沢入トンネル上州側入口(3時間20分)二子山西峰(3時間30分)沢入トンネル上州側入口

 大難峠
 江戸時代初期に銅を搬出するために足尾から渡良瀬川沿いに「足尾通り」が整備された。この道は後に銅山街道と呼ばれた。初日の行程は峠越えに一日の大半を費やし、足尾陣屋から沢入宿までの二里半(10`)しか進めなかった。大難峠は山歩きならば標高差が少なく大した峠ではないが、製錬した銅を12貫(45`)ずつ分け、馬1頭に3袋積んだので狭い山道の峠越えはさぞかし大変だったと思う。峠の区間は足尾通りの難所であることから大難峠、小難峠と名付けたのだろう。近代になって明治25(1892)年に渡良瀬川沿いの対岸を削った新しい道ができて以降、峠越えの道はすっかり忘れ去られてしまった。対岸の道は岩を削って半トンネル状にしたもので「片マンブ」と呼ばれ、馬で貨車を牽く軽便馬車鉄道が導入された。
 明治20(1987)年の二十万分の一地図には大那坂、文久五(1824)年の唐風呂村絵図には大難坂、小難峠と記されており、大難峠は沢入トンネルの上部、小難峠は足尾トンネルの上部にあったことが判る。
 二子山を訪れた際に通り過ぎただけだったので後日、峠道を探ってみた。廃棄物中間処分場から沢伝いに行ったが、険しくなったので南側の斜面に取り付き尾根伝いに辿ると送電線の鉄塔に着いた。ここから県界尾根を少し下った所が峠である。前回は足尾側に下ったので、今回は上州側の峠道を辿った。はっきりした道形が山腹を巻くように付いている。道形は途中で折り返して電光形に付いていたが、そのうち不明瞭になって見失った。沢伝いに下りると再び道形が現れ、沢入トンネルの上州側入口に下り立った。峠越えには1時間を要した。峠道であったことを示す石造物などはなかった。
 次に足尾トンネルの南側入口から小難峠を目指した。ここからははっきりした道が付いており、少し行くと斜面を斜上する道になる。道形の形態からこの道が旧峠道だった可能性が高いと思う。道形を辿って斜面を登り切った付近が小難峠と思われるが、はっきりとした峠の形態はない。そこから先の道形は判らなかった。小難峠は大難峠に比べると標高差はずっと小さく、すぐ下が足尾トンネルになっている。ここにも峠道を示す石造物などはなかった。


* *
大難(名)峠 県境稜線の太刀割岩
* *
二子山(二子平から) 二子山西峰山頂
* *
二子山東峰頂上の岩 チョッケン岩
*
大難峠道(上州側)

*********足尾山塊トップに inserted by FC2 system