きたごうおかざきやま。同名の山が足利市寺岡町にあるので地名の北郷(きたごう)を冠しました。旧北郷村には菅田村、利保(かかぼ)村、江川村、田島村、樺崎村、大月村、月谷村、名草村が所属していました。北郷は独自の観光を展開(北郷観光協会)していて、鑁阿寺(ばんなでら)から樺崎八幡宮までを奥の院街道と称し、各所に案内板を設置しています。
岩花文庫発行の『北の郷物語(中島太郎著)』の冒頭に“東の京都と言われる歴史の町足利の鬼門を守ってきた北の郷は、異界への入口。野尽き、山を負い、夕暮れが早く、夜は長い。遠くの峰に狐火が灯り、お地蔵様が豆腐を買いにお出ましになる不思議の郷の物語”とあります。

岡崎山には飛駒足利線を北上し、北郷(きたご)小学校の交差点で左折。北郷小学校の西側の道の路肩に駐車します。北郷小学校の裏側からも登路はあるのですが、交差点に戻り、飛駒足利線に面した墓地への階段を登ります。登っていくと草臥れたお堂があり、お堂の中に豆腐好きのお地蔵様がいらっしゃいます。(多分)このお地蔵様は「足利の伝説(台一雄、岩下書店)」の第12話『黒地蔵』で紹介されています。要約すると、顔が黒いので黒地蔵と呼ばれるお地蔵様が、お金に化けさせた木の葉で(狐か狸のよう)毎晩豆腐を買っていたので、荒縄でしばられてしまったそうです。仏様のバチはあたらなかったのでしょうか。後に、豆腐をお供えすると夜泣きや安産に霊験があったそうです。
地蔵堂の脇を通り、墓地を抜けると石碑(なんの石碑かは未確認)のたつ広場に出ます。広場から北郷小に向けて石の階段(北郷村作成)が下っていました。石碑の裏からはっきりした踏み跡が北に向かっています。踏み跡は尾根通しでなく尾根のすぐ東側に刻まれています。最初のピークを地蔵山としましたが、いかがでしょうか。進んでいくと気持ち良く歩ける尾根道になり、岡崎山との鞍部には尾根を跨ぐ踏み跡が認められました。田島村と菅田村を結ぶ峠道でもあったのでしょうか。田島村方面(北郷小の西側の道)に下ってゆくと大きな庚申塔と祠がありました。
鞍部から尾根を北に向かうと岡崎山。その先は北関東自動車道の造成地でした。近くに足利インターチェンジができるようで、完成すると塩坂峠から足利市内にかけての里山の様相は一変してしまうでしょう。
樺崎の八幡山に登った当時は、思い至らなかったのですが、あの尾根も北関東自動車道で断ち割られていたのですね。で、ここで重大発表。岡崎山山頂には、四等三角点菅田があるのですが、未確認です。もしかしたら、岡崎山山頂にいってない?雨の中歩いたのに。盛夏でもご近所の方は散歩していらっしゃいました。落葉期ならどなた様も気持ち良く歩ける尾根道です。

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