くぬぎった。須田茂さんの「群馬の峠(みやま文庫)」に“鳴神山北方にも鍋足から赤芝へ越える峠道があるが、これも名称は不詳である。”と書かれている峠道です。
「裏の肩」「裏の広場」など、勝手な名称を付けられていますが、どう見ても峠で、子繋山と鳴神山の鞍部を越えて里と里を結んでいます。

くぬぎったへは桐生田沼線を北上し、梅田橋の手前で左折、高沢(こうざわ)川沿いの沢入桐生線に入ります。名前からすると沢入まで行けそうな県道ですが、鍋足あたりで途切れています。沢入桐生線は鳴神山の大滝(おおだき)登山口を過ぎると道幅が狭くなりますが、コツナギ橋は大滝登山口からすぐです。高沢川とコツナギ沢の合流点コツナギ橋の袂に駐車して、廃屋?の先の道標に従って左折、作業道を進みます。コツナギ沢左岸に付けられた作業道は進むに連れて沢に近付いてゆ(沢が近付いて)きます。
桟道がくずれた箇所から山道の始まりです。右岸に渡渉して登ってゆくと、右手に『イズクの滝』があらわれます。勢い良く流れてきた沢水が岩盤に当たり大きくジャンプして奔流になっています。上部では大きな岩を包み込むようにして清流が流れ落ちてゆきます。名瀑といえるでしょう。
沢身におりての徒渉を何度か繰り替えして登ってゆくと右手に何段かのしっかりとした石組みが現れ、清流が洗っています。ワサビ田です。その先では竹の樋から水が湧きだしています。甘露な水です。
この峠道は鳴神山への参道としても使われていたようで、水場の先の大岩には手水場(ちょうずば)という名前も残されています。白装束の参拝者がここで身体を浄めて登拝したようです。
沢が伏流になり、少し登り、左からの涸れ沢に入ります。分岐点の樹木にテープが巻かれています。カッコソウの復元地に沿って登り、斜面をジグザグに登るようになると、椚田。鞍部の十字路です。文化年間の年号が刻まれた苔むした山神様の石祠のある静かな峠です。直進すると赤芝を経て川内に。左は鳴神山。右に進むと座間峠に至ります。
聞こえるのは風の音と鳥の囀り、数ある桐生の峠の中でもお気に入りの一つです。歴史のある峠に「裏の肩」「裏の広場」などの汚い名前を付けたくないものです。

桐生市地名考には“子はコエ(越)の換字で山を越えて隣村へ行く峠道。つなぎは繋で峠をはさんだ山の両側の村をつなぐ意。山を越えて仁田山村へ行く峠道の通っている地域”とあります。
例によって、この項、赤芝から椚田までの紹介を書き加えて、椚田越として完成です。


赤芝から椚田まで歩きました。途中の林道が車両通行止めになっています。自動車の走れる道路としてはほとんど廃道と化しています。車の走れない道路は人間も歩き難い道であることを痛感しましたが、はじめから山道として存在していると思えば、適当なハイキングコースです。

鳴神山の赤芝登山口には、駒形大間々線の終点を過ぎ、突き当たりの廣土橋まで進みます。橋の手前の空きスペースに駐車可能です。赤芝登山口と書かれた小さな道標に従って、左の赤芝林道に入ります。沢沿いの道ははじめは舗装されていますが、車両の通行は不可能な程荒れています。2006年の夏に山の師hisiyamaさんにだまされて、大間々町小平からここまで車を走らせたことがあります。当時は悪路ではありましたが、なんとか走り切ることができました。林道入口の舗装道路に騙されないように。最後の廃屋の手前にトラロープが張られて、車両通行止めになっています。ここまでの路面も充分道は荒れているので、思慮分別のある一般人なら車を乗り入れることはないでしょうが、ここから先は荒れ放題です。路面がえぐれています。陥没しています。
林道赤芝支線の出合で、右に道をとります。道標がありますが、草に埋もれています。赤芝支線も通行止めになっていました。緑のトンネルを抜けると小さな草原(くさはら)に出ます。草原の先が赤芝登山口のようです。

登山道の入口は突入するのが躊躇われる程の草むらですが、エイヤッと突き抜ければ沢沿いの静かな登山道です。要所に道標もあります。何度か支沢を渡渉して、沢の中を歩くようになり、大きな岩の先の道標に従って、沢を離れます。道標の手前に“新道あるきやすい”と書かれたプレートが下がっていましたが、歩き難かった旧道も辿ってみたいものです。
沢を離れた歩きやすい新道はグングン高度を上げ、アッという間に椚田についてしまいます。静かな峠です。様子の良さは桐生でも屈指です。倒木に腰をおろしてぼーと吹き抜ける風を楽しみます。この心地よさ。
赤芝からの道は新道とされているので、旧来の峠道ではないのでしょうが、峠越えの風情はあります。途中の林道は修復されないまま荒れていくのでしょうか。山を歩く身としてはこのままでも良いのですけど。


inserted by FC2 system