まえやま。岩澤正作さんの赤城山案内の赤城山案内略図に名前はあるのですが、本文中に山に関しての記述はありません。25000分の1赤城山図幅で、それらしい場所を探すと当ページの茶の木畑山の項で北峰と書いた場所があてはまりそうです。前山と長七郎山とは尾根が繋がっているようには書かれていませんので、あるいは茶の木畑山を示しているのかも知れませんが。
旧黒保根村の10000分の1の地形図には茶の木畑山の北に1476mの標高点が記されたピークがあります。25000分の1赤城山には茶の木畑山付近に1466mの標高が書かれていますが、それよりも10m高い標高です。ま、名前が二つあるのなら一つわけても良いのではないかと。そういうスタンスです。

前山(としてしまいましたが)は茶の木畑山と尾根続きですが、茶の木畑山からは名前のもとになったコゴメツヅジの猛烈な薮で、尾根通しにはゆくことができません。長七郎山との鞍部の賽の河原から薄い踏み跡を辿ることになります。前山の山頂付近には人工的な石積みなどがあり、以前は何かがあったのかも知れません。

2008/10/14 前述のように、軽い気持ちで前山を紹介しましたが、この山は前山で間違いがないようです。茶の木畑峠でお会いした古老から(何十年も赤城山に登られているそうです)、「梨木温泉からの登路が昔はこの向こうの尾根にあった。向こうの山を越えて、長七郎の下を通って小沼や鳥居峠にいった」というお話をうかがいました。
赤城山に対する前山ということで、前山に対する信憑性が増してきます。頂上直下の石積みも山頂を回りこんで古老の示した尾根にまで続いているようです。その後の調査の結果、石積みは尾根方向にはありませんでした。

男子三日会わざれば、といいます。久し振りに赤城道路方面から訪れた赤城山は、結構な変貌を遂げていました。新坂平を下り始めて、すぐに見晴し山に東屋が設置されているのに気付きました。大沼側の斜面には階段の登路も作られています。以前の薄い踏み跡がすっかり整備されていました。前橋市と合併する前にできることはやっておこうという富士見村の熱意の現れでしょうか。あちらこちらに立派な道標が設けられています。
おとぎの森や茶の木畑峠の入口にも新しい道標が立てられました。道標にも功罪があるようで、峠から下ってくると観光客に上には茶屋があるのかと尋ねられました。歩きやすい作業道で小沼辺りの観光客がおとぎの森の外れまでやってくるようです。茶屋はありません。

で、前山に登るには、新調された茶の木畑峠への道標を見送り賽の河原の末端まで進みます。端から見下ろすと恐ろしいような急斜面、ここまで来なくても良いのですが、恐ろしさを分け合いたくて。長七郎山の反対側のクマザサの斜面の歩きやすいところを選んで登ります。薄い踏み跡もついています。山頂はツツジの密生した薮なので山頂手前で右の方向に。歩きやすいところを選んで進んで行くと、石積みが見えてきます。かなりな大木が石を抱えていたりするので、相当に石積みは古そうです。石積みから歩きやすいところを選んで登ってゆくと山頂ですが、最後はツツジの薮を強行突破するよりなさそうです。

2008/10/18 前山から茶の木畑山を通り、茶の木畑峠付近まで石積みが続いていました。ピークとピークを結んでの縦走は不可能でしたが、尾根直下を石積みを繋いでゆくと茶の木畑峠の直前まで石積みが見られました。ま、二山のピークを踏んで、峠まで行けたのですから、縦走もできるなということで。にしても、この石積みは旧時の信仰登山の跡なのでしょうか。200mほどの長さにわたって路肩保護(のように見えます)のために自然石が整然と積まれています(崩れた箇所もありますが)。現時点では、誰が、いつ、何のために、すべて謎のままです。

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