武尊山

増田 宏 


 上州(群馬県)を代表する山として上毛三山(赤城・榛名・妙義)と浅間山があげられるが、北部の利根郡では上毛三山と武尊山(2158㍍)が上州を代表する山となっている。上州北部の主な山は県境にあるが、武尊山は利根郡の中央部に大きな山体を横たえている。「ほたか」は高く聳える峰という意味であり、漢字を充てれば穂高である。それが江戸時代になって日本武尊伝説と結びつき武尊をほたかと読むようになった。
 御嶽大滝口を開いた普寛行者によって武尊山は寛政6年(1794)に開山され、花咲から前武尊までの道が整備された。前武尊山頂には江戸時代末の嘉永3年(1850)に建立された日本武尊の銅像がある。だが、目的地は前武尊ではなく、眼前に聳える剣ヶ峰だったと思われる。修験の山はたいてい険しい岩山であり、剣ヶ峰の偉容を見て開山したと考えるのが自然である。その後、明治21年(1873)に深沢心明行者により不動岳(不動岩)を経由し、沖武尊までの川場口が開かれた。沖武尊山頂付近には明治23年(1875)に建立された日本武尊の銅像がある。主な峰として前武尊、剣ヶ峰、家ノ串、中ノ岳、剣ヶ峰山がある。私はこれまでこの山に季節と登路を変えて三十回ほど登っており、足尾山塊に次いで親しんでいる山である。


武尊山概念図

 私が初めて武尊を目指したのは四十年近く前の高校生の時である。学校が終わって土曜の午後に弟と2人で列車に乗り、沼田からバスで川場村の木賊まで行き、林道を歩いて登山口に着いた。無人の旭小屋にいると隣の行者小屋に住んでいた老人がやって来て、旭小屋は戸がないので寒いと言って行者小屋に泊めてくれた。この人は武尊山の仙人と呼ばれていた野島冨明氏で、一人で小屋に住んで経を読む生活をしていた。当時、野島さんは68歳、顎髭を長く伸ばしており、いかにも仙人のような風貌をしていた。行者小屋は粗末な造りだったが、火を焚いているので中は暖かく、風呂もあった。その晩は武尊山の開祖普寛行者や大蛇の伝説などを聞かされ、楽しいひと時を過ごした。ただ、小屋の中にカメムシが多いのには閉口した。それに夜寝ていると体の上を鼠が走り回るので安眠できなかった。翌日は雨になったので山には登れず、炬燵でお茶を御馳走になりながら野島さんから前日の話の続きを聞いてから帰宅した。
 野島さんは前武尊のことを朝日岳と呼んでおり、花咲側と川場側で峰の名称を異にしていることを知った。現在使われている峰の名は両地域の名称が混在しており、前武尊(花咲)は朝日岳(川場)、剣ヶ峰(花咲)は剣ヶ岳(川場)、家ノ串(花咲)は小鳥岳(川場)、中ノ岳(川場)は川籠岳(花咲)、剣ヶ峰山(川場)は西武尊(花咲)の別称があり、混同しないよう注意が必要だ。
 翌年の5月連休に再び弟と旭小屋に泊まり、翌日山に向かった。不動岳の鎖場を通過すると前武尊の登りとなる。慣れない残雪の急斜面に躊躇したが、後から来た一行がピッケルで足場を切ってくれたので後に続いた。この一行は沼田にある会社の山岳部の人たちで、それから行を供にしてくれたので心強かった。日本武尊のいかめしい銅像がある前武尊山頂を過ぎ、剣ヶ峰の東側をトラバースする箇所は上から雪の玉が落ちて来て雪崩の危険を感じた。沖武尊へ縦走し、上ノ原を経て藤原の久保バス停に下った。5月連休とはいえ武尊を縦走したのはほかに数組だけだった。私たちは大きな山行をやり遂げた充実感を抱きながらバスに乗り込んで水上から列車で帰宅した。その翌年、大学に入ったばかりの4月末に高校生になった弟と再び同じコースを辿って武尊山を縦走した。今度は自分たちだけで歩き通し、残雪期の登山に自信を持った。その後、残雪期の上越の山が目標になり、武尊山からしばらく遠ざかることになった。
 再び武尊山に目を向けたのは沢登りの対象としてである。東面の西俣沢を皮切りに南面の川場谷と荒山沢、中ツ沢、北面の武尊沢などを遡行した。武尊は火山のため岩が脆く快適な沢登りはできないが、当時は未知の魅力があった。川場谷では台風の接近による降雨で上流の斜面でツェルトを被って座ったままのビヴァークを強いられ、翌日風雨の中をやっと剣ヶ峰山と沖武尊間の稜線に上がり、前武尊まで苦しい縦走を続けて真夜中に帰宅した。晩秋の武尊沢では上流の滝が凍結して登れず、やっとの思いで稜線に這い上がったものの、吹雪の中、同行の妻は危うく手の指が凍傷になりかけた。
 冬山は最初に南面の武尊オリンピアスキー場から前武尊を目指したが、新雪のラッセルが深く、早々に撤退した。次は3月初めに上ノ原から倒壊寸前の手小屋沢避難小屋に泊まって沖武尊を往復した。上越の山に比較して天候が安定し登山者が少ない積雪期の武尊山は手頃で魅力的な山域だったが、その後観光開発が進んで川場スキー場が剣ヶ峰山の山頂直下まで、オグナほたかスキー場が前武尊山頂直下までリフトが延び、山はゲレンデの延長のようになってしまった。積雪期の登山は容易になり、両スキー場のリフトを使って沖武尊まで日帰りできるようになった。近年は脱ゲレンデのスキーヤーやスノーボーダーで賑わっている。
 登山道は川場口・花咲口・武尊牧場口・藤原口だけだったが、高手山コースを始め青木沢(武尊沢)コース、荒山沢林道からの周回コース、木の根沢上流の武尊自然休養林から武尊田代を経て武尊牧場口に合流する道などが作られ、現在では奥深い山の印象はすっかり失せてしまった。気軽に自然に親しめるようになった反面、登山者が増えて山上が公園化したことで山の魅力が減じたことは否めない。ほかに玉原から武尊への登山道伐開計画があったが、幸いなことに立ち消えになったようだ。自然保護の観点からもこれ以上登山道を造る必要はないと思う。
 登山道で最も変化があるのは川場から沖武尊への縦走だ。登山口にあった旭小屋は建て替えられ、野島さんが住んでいた行者小屋は跡形もない。道路が奥まで延び、登山口は荒山沢上流の川場野営場に変わった。不動岳周辺には蟹の横這いや背すり岩などの鎖場があり、行場には修験者の碑伝(ひで)が奉納され、いまでも修験の山の雰囲気がある。剣ヶ峰は山頂付近が崩落し稜線通しの道は廃道になった。剣ヶ峰の鎖場は不動岳に比べて容易で、鎖の役割は険しさを誇示するための道具立てである。帰りは前武尊から花咲コースを経由し、周回することができる。
 積雪期はオグナほたかスキー場のリフト終点から1時間とかからず前武尊に着いてしまう。普段は剣ヶ峰の東を巻くが、ある年の2月、積雪が安定していたので前武尊との鞍部から雪壁を直登して剣ヶ峰に立ったことがある。剣ヶ峰は木のない滑り台のような斜面で雪崩の危険性が高く、最近もトラバース中に雪崩で一人死んでいる。
 気になる存在に獅子ヶ鼻の岩峰がある。積雪期の獅子ヶ鼻はヒマラヤ襞が発達し、近寄り難い威圧感がある。最後に仲間と3人で挑んだ獅子ヶ鼻北稜の記録を挙げる。

獅子ヶ鼻北稜


獅子ヶ鼻北稜概念図

 武尊・剣ケ峰山西方に連なる岩峰獅子ケ鼻(1875㍍)から北に顕著な稜線が武尊沢に延びている。この北稜は標高差三百メートルほどに過ぎないが、剣ケ峰山頂から見ると小岩峰を混じえたすっきりした雪稜になっており、記録を見たことがなかった。
 前日、川場スキー場からリフト2本を乗り継いで終点まで行き、10分ほどラッセルして剣ケ峰山南方稜線上にベースキャンプ(BC)を設営した。翌朝、BCから剣ケ峰山の西山腹をトラバースして剣ケ峰山と獅子ケ鼻を結ぶ稜線に出た。降雪直後など雪面が不安定な場合はトラバースせず、いったん剣ケ峰山に登って稜線伝いに下降した方がいいかもしれない。
 稜線から北に樹林帯を縫ってタカオドシ沢右俣の左岸山腹を下る。雪面が安定していたので途中から沢伝いに下った。武尊沢本流(氷沢)合流点の手前、標高1550㍍付近から左斜面を北稜に取り付いた。急な雪面を登り、P1の北で北稜上に出た。P1は東側が岩場になっている。稜線上は時々キノコ雪になっており、時々雪壁に近い雪面の登りがある。稜線上は東に雪庇が出ているので樹木との境界付近を行く。P2を越え、P3は岩塔になっているので右側を巻いた。下部は西側が緩い斜面になっているが、中間部は両側とも切れ落ちている。稜線伝いにP4、P5を越えると稜線が広くなり、このまま主稜線につながっているように見えたが、獅子ケ鼻東肩の岩峰(ジャンクションピーク)が行く手を阻んでいた。樹林の切れた左の急斜面をトラバースすれば稜線に出られることが判ったが、ジャンクションピークを直登することにした。左の急斜面をトラバースし、岩場左の急な雪面を登った。頂上付近の数メートルは雪壁状になっている。
 ジャンクションピークと獅子ケ鼻主峰の間は切れており、岩壁で直登できない。以前、主峰から縦走した時は懸垂下降したが、逆コースでは通過できない。ジャンクションピークの下りは唯一ザイルを使用した。スノーアンカーを支点に確保し、途中の木で中間支点を取った。最後に雪の急斜面をトラバースして剣ケ峰山と獅子ケ鼻を結ぶ稜線に出た。例年に比べて積雪が多く、3月下旬というのにこの稜線もキノコ雪状になっていた。往路と同じく剣ケ峰山の西山腹をトラバースしてベースキャンプ戻った。

[記録]2005年3月20日
BC(7時45分)〜下降点(8時)〜北稜取付(8時45分)〜P1(9時20分/9時35分)〜ジャンクションピーク(11時20分/11時30分)〜稜線(11時40分/12時5分)〜BC(12時40分)


沖武尊から剣ヶ峰、家の串

沖武尊から剣ヶ峰山(西武尊 )

前武尊の日本武尊像(現在は屋根がある)

沖武尊の日本武尊像

中ツ沢の滝

冬の沖武尊(剣ヶ峰山から)

冬の剣ヶ峰山(西武尊)

前武尊から剣ヶ峰

家ノ串側から剣ヶ峰

剣ヶ峰から沖武尊方面

早春の獅子ケ鼻

獅子ヶ鼻北稜
ジャンクションピ−クの下降

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