漁岳

増田 宏 

 漁岳(1318b)は札幌近郊の札幌岳、空沼岳から支笏湖方面に連なる山稜上にあり、遠望すると個性に乏しく、周囲の山と見分けが付かない。支笏湖畔からは独立峰の恵庭岳や樽前山、風不死岳が聳え立ち、漁岳は恵庭岳の奥に控えめに連なる山の一つにしか過ぎない。漁岳の名はアイヌ語名イチャンヌプリの「イチャン」を「イザリ」と和人がなまって漁と当て字したのが由来だという。イチャンは鮭鱒の産卵場を意味し、鮭の好漁場だった漁(いざり)川の源流にあるこの山をイチャンヌプリ(ヌプリは山のこと)と呼んだ。この山には道がなく、山頂に登るには積雪を利用するか沢を登るしかない。この夏、日高山脈を目指して札幌の山仲間と山麓まで行ったが、天気が悪くなって中止し、翌日札幌に戻ってきた。そこで日帰りで沢登りができる漁岳に向かった。

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漁岳概念図

 支笏湖手前の奥漁橋から林道を少し入った所から漁川に入渓した。漁川は易しく短いので札幌近郊では沢登り入門ルートとして知られており、この日は私たちの前に17人の大集団がいたので東京近郊の沢を歩いているような雰囲気だった。北海道の山を歩く時には熊避け用の鈴と護身用にピッケルを持参しているが、これだけ人が多ければ熊に出くわす心配がないのでその必要はなかった。
 数日前、平山の帰りに支湧別川沿いの林道を車で走っていた時、曲がり角で子供2頭を連れた熊に出くわした。熊は突然現れた自動車に驚いて斜面を一目散に駆け登って行った。車に乗っていたので不安を感じることもなく、かえって逃げていく熊の後ろ姿を見て可愛いと思ったほどである。だが、至近距離で見た羆(ヒグマ)は月の輪熊とは全く大きさが違った。子連れの熊は特に危険といわれており、山で出くわしたらさぞかし怖い思いをしたに違いない。
 下流は単調な河原だったが、ナメ床が現れると一転して快適な遡行になる。やがてこの沢唯一の難所とされる流木の掛かった5b滝が現れた。先行していた17人組が登り切るまでしばらく待ってから滝に取り付いた。右の水線沿いに手掛かりと足場があり、確保を要することもなく思ったより容易に登れた。流木で確保して同行者を登らせようとしたが、沢登りの経験がない仲間は登ることができず、右岸に設置されている鎖を利用して高巻いた。鎖場も垂直に近く苦闘してやっと登り切った。
 右岸林道から下りてくる道が合流した先から滝が連続する。滝はいずれも階段状で手掛かりと足場が豊富なので初心者でも容易に登れる。固定ロープがあるが、登りには必要ないので下り用に設置したものだろう。水がなくなってからは沢溝に踏跡が付いており、この沢では藪漕ぎの必要はない。踏跡を間違って藪に突入しそうになったが、元に戻って登り直した。はっきりした踏跡を辿って稜線に出ると山頂はすぐそこだった。脚下にはオコタンペ湖、その後方には恵庭岳の端正な姿と支笏湖が雲間に見え隠れし、神秘的な景観だった。山頂には小さな鳥居と石祠が祀られていた。この山は登山道がなく、沢を登るのが唯一の登路なので小なりといえども登頂の充実感を味わえる。
 近郊にこのような原始の香り漂う山を擁する札幌市民は幸せである。後背地に大自然を擁する札幌は同じ大都会でも東京とは随分と違う。二十台前半、就職して東京で生活したことがあるが、山が遠いので休日にはどこにも行くところがなく、そのような生活に耐えられず私の東京生活は1年に満たず終わった。もし就職先が札幌だったら週末には喜々として近郊の山を歩き回ったことだろう。
 下山は漁川を再び下って途中から右岸林道に出た。この林道を使って上流部だけを楽しむ人も多い。反対側の定山渓奥から漁入(いざりいり)沢を遡行する登路もあり、積雪期登山も興味深い。私にとって漁岳の魅力は当分尽きないだろう。

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下流の瀞 ナメ床
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唯一の難所5b滝 三角形の淵
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上流部階段状の滝1 上流部階段状の滝2
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源流の滝1 源流の滝2
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漁岳山頂部 山稜に去来する雲
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雲間に姿を現した恵庭岳 オコタンペ湖と恵庭岳、支笏湖

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