ニペソツ山

増田 宏 

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ニペソツ山概念図

 アイヌの人々は海岸や川の流域を中心として狩猟や植物採取の生活を行っていた。そのため生活に直接関係のない遠く離れた高い山には名前を付ける必要がなかった。これに対して川は交通路や魚捕りの必要から細かく名前が付けられていた。したがって山名はそこから流れ出す川の名前に由来することが多く、ニペソツ山の名は十勝川の支流ニペソツ川に由来する。ニペソツはニペシ・オツが詰まったもので、ニペシはしなの木、オツは多いの意味である。つまりニペソツ川とは、しなの木の多い川を意味する。
 東大雪の主峰ニペソツ山(2013㍍)は峨々たる東壁の上に鋭い頂を有する名峰である。登路は音更川十六ノ沢と幌加温泉からの二つの道がある。最初にニペソツ山を目指したのは二十代の後半で、廃線になって今はない士幌線で糠平まで行き、十勝三股行きのバスに乗り換えて幌加温泉入口から薄暗くなり始めた砂利道を一人幌加温泉まで歩いた。宿に宿泊を申し込んだが、すでに夕食は終わっていた。それでも通常の献立にご飯代わりのうどんの夕食を食べることができた。
 翌日、一人で山頂を目指した。幌加温泉からの道は作業道を何回も横切るので道が判り難い。迷い平という地名があるくらいで、針路選定に苦労した。天候が悪く視界が少ない中、深い霧の中から何時熊が現れはしないかとびくびくしながら歩いた。稜線まで辿り着いたものの、霧の中から垣間見える稜線の岩がどれも熊に見えて前天狗で引き返した。それ以来ニペソツは私にとって常に気になる山だった。
 その数年後、三十代になって単身でのバイクによる山巡りで再訪した。前回は幌加温泉から直接登る道を採ったが、この道は単調なうえ距離が長いので登山口までバイクが使える十六ノ沢からの道を登ることにした。前回と同じく前夜は幌加温泉に泊まり、早朝にバイクで宿を出発して登山口まで林道を走った。
 十六ノ沢の道は良く整備されていた。小天狗の鞍部から前天狗の登りにかかると小雨が落ちて来たので雨具を着た。前天狗で一時霧が切れてニペソツ山が現れた。天狗岳との鞍部から痩せた稜線が曲線状に延び、頂に向かって駆け上がっている。残念ながら山頂部だけは霧がかかって怪鳥の嘴と形容される鋭い頂を見ることはできなかったが、左の幌加川に東壁が一気に切れ落ちた豪快な山容に圧倒された。
 前天狗からいったん鞍部に下って山頂への急登にかかる。ハイマツの急峻な稜線を登り詰め、砂礫地になると間もなく山頂だった。三十分ほど待ったがとうとう霧が晴れず、展望は得られなかった。それでも久しく待ち望んだニペソツの頂に立ったことに満足して下山の途に就いた。

 帰途、石狩岳山麓にある秘湯岩間温泉を訪ねた。林道は二十一ノ沢出合で終わっていたが、オフロードバイクなら温泉まで行けると言われたのでそのまま川伝いにバイクで進んだ。音更川本流に沿って何回か川を徒渉し、河原を走って三十分ほどで温泉に到着した。途中バイクでの徒渉で転倒し、バックミラーを壊した。今ならバイクで川を徒渉するなど考えられないことだ。ここは温泉といっても河原に工事用ビニールシートを敷いて湧き出た湯を三十センチほど溜めただけのものだ。途中で出会った温泉マニアは喜々としてその中に漬かったが、周りから丸見えの河原で裸になるなど当時の私には恥ずかしくてできなかった。地図には載っていても道も通じていない本当の秘湯だったが、最近再訪したところすぐ近くまで林道が通じており、浴槽と囲いが整備され、入浴することができた。
 この夏、札幌の知人と二人で十六ノ沢から二十数年ぶりにニペソツ山を訪ねた。平日にもかかわらず、登山口には本州ナンバーの車が十台ほど駐車していた。北海道の夏は百名山や二百名山、三百名山を巡る人で賑わっている。昔の北海道は鉄道利用で旅をする学生が大半だったが、今は車を使って名山巡りをしている高年者が多く、隔世の感がある。
 小天狗の南を巻いて鞍部に出ると一気に視界が開けた。石狩連峰は山襞に僅かに残雪を留めるだけだが、大雪山中心部は豊かな残雪を纏っていた。前天狗(1888㍍)付近から初めてニペソツ山の全貌が見えた。前回姿を現さなかった山頂まですっきり望め、豪壮な山容に改めて目を見張った。前天狗からいったん下り、天狗岳の頂を巻いて鞍部に下る。鞍部から山頂まで標高差三百㍍、この登りは遠望すると鋸状の岩稜に見えるが、岩の露出した箇所は稜線伝いに行かず、斜面を巻いてしまうので全く困難はない。岩稜歩きを想像していた人には期待外れかもしれない。山頂で初めての展望を楽しんだが、人が多くて霧に包まれた秘峰の印象はもはやなかった。
 深田久弥は『日本百名山』の後記で百名山の候補にニペソツ山を考えていたが、登っていないという理由で除外したことを記している。彼が日本百名山の執筆前に登る機会があったなら百名山に加えられたかもしれない。ただ、私は山容の豪壮さでは高く評価するものの、登路が単調で趣に欠ける面は否めない。
 私は未だ積雪期のニペソツを訪れていない。積雪期を知らずしてニペソツの真価は判らない。東大雪唯一の活火山丸山を経てウペペサンケ山への縦走、石狩岳への縦走が残雪期の課題として残っている。積雪期におけるニペソツ山に私はかねてから興味を持っているが、山麓の長い林道歩きを考えるとなかなか挑戦する気力が湧いて来ない。いずれ機が熟し情熱が湧いたらこの気高き山に挑みたいと考えている。

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石狩岳遠望
前天狗付近
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前天狗からニペソツ山
天狗岳(左)とニペソツ山(右)
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天狗岳
圧倒的な迫力で迫るニペソツ山
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見上げる山頂部
最後の登り
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山頂から天狗岳方面
山頂から南に連なる稜線

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