オプタテシケ山

増田 宏 

 オプタテシケ山(2013b)は十勝連峰の北端に位置し、緩やかな連峰の中にあって厳つい山容が特徴的である。とりわけ積雪期には尖った山頂から氷雪を纏った西壁が切れ落ちて迫力がある。道路が奥まで延びて取り付き易い十勝連峰の中では山麓から歩かなくてはならないので最も遠い山である。オプタテシケは十勝連峰の総称であったが、いつのまにか現在の峰を指すようになったらしい。オプタテシケとはアイヌ語で「槍がそこで上に逸れた」という意味だという。この山名に因んで次のようなアイヌ神話がある。
 夫婦喧嘩をして怒った妻山の雌阿寒岳が夫山のオプタテシケ山に槍を投げ付けたが、然別湖畔のヌプカウシヌプリが槍を叩き落したので危うく難を逃れた。怒ったオプタテシケ山が槍を投げ返すと雌阿寒岳の頂上近くに突き刺さった。雌阿寒岳の硫黄はその時の膿だとされている。
 阿寒と十勝連峰では距離が離れ過ぎており、神話といえども不自然に感じる。屈斜路湖畔にある同名のオプタテシケ山(雄武建山504b)にも同じような神話があり、その神話を借用したのかもしれない。オプタテシケについては「槍がそこに反り返っている」との解釈もあり、山容から考えるとこの方が相応しい気がする。

*
オプタテシケ山概念図

 私が初めてオプタテシケ山に登ったのは十数年前の秋で、山仲間の大谷さんと白金温泉から登って美瑛富士避難小屋で泊まり、山頂を往復してから美瑛岳に縦走して望岳台に下った。避難小屋付近では見事な紅葉に遭遇した。その後、年末年始に白金温泉から林道をスキーで入り、ポン水無川上流で幕営して西面から山頂を目指したが、悪天候に阻まれて西尾根を少し登った所で撤退したことがある。それ以来、積雪期のオプタテシケ山が課題になっていたが、十年経ったこの5月連休に達成することができた。
 芦別と上富良野を結ぶ千望峠付近から遠望した十勝連峰はまだ純白の装いで、北のオプタテシケ山から中央の十勝岳本峰、南に富良野岳が連なり、その美しさに息を呑んだ。「よし、今回はオプタテシケ山に行こう」と目的地を定めたが、翌日から雨が降り続き、定宿にしていた吹上温泉で停滞を余儀なくされた。数日後、ようやく天気が回復してきたので札幌の山仲間を呼んで2人でオプタテシケ山を目指した。初日は美瑛川沿いの道路を車で入り、除雪終了地点の白金林道起点から歩き始めた。仲間は輪かんを着け、私は輪かんの代わりに短いスキーを履いた。途中から林道を離れ、ポン水無川沿いに登る。沢に沿って樅林の中を行くが、新雪が15aほどあるのでスキーとはいえ意外に沈む。標高千二百bを超えると傾斜が急になったので樅の樹下を均してテントを設営した。
 翌早朝に右の西尾根に取り付く。雪が締まってきたのでスキーを置いて、靴で登ることにした。ここは傾斜が強いので私の腕前ではスキーで下ることなど到底できないからだ。樹林帯を抜けると疎林の広大な斜面になった。雪面が硬くなったのでアイゼンを着けて登る。やがてオプタテシケ山の西面が姿を現した。氷を纏った鎧のような山頂と切れ落ちた西壁が見事だ。西壁は十勝連峰における積雪期の代表的な登攀対象だ。尾根を登り詰めて主稜線に出たが、下から見たのと違ってここから山頂までの主稜線は難しいところはなく、期待外れだった。ここまで先行者はいなかったが、山頂には新得側から登ったシュプールが付いていた。積雪期のオプタテシケ山は新得側から登る方が容易だと地元の人から聞いていたが、東側はスキーで頂上まで登れる緩い地形だ。北に連なるトムラウシ山から大雪山、南の十勝連峰の山稜はまだ冬の姿であった。
 帰りは山頂北側から派生する東尾根を下るつもりだったが、山頂から東尾根分岐までの痩せ尾根に雪庇が張り出していて手強そうなので予定を変えて往路を下山した。登りは3時間以上かかったが、下りは1時間半で着いた。樅の枝に付いていた雪が解け落ちて直撃し、テントがびしょ濡れになっていた。樹の下は幕営適地ではないと知っていたが、平らな場所なので安易に張ってしまった。雪の塊でテントが壊れなくて良かったとほっとした。スキーにシールを貼ったままポン水無川沿いを下り、林道に出てシールを外したが、林道は滑れるところは殆どなく、歩いて下るのと大差なかった。

* *
白金林道を行く ポン水無川上流の幕営地
* *
西尾根下部 西尾根中間部の露岩帯
* *
西尾根の登り 美瑛岳と美瑛富士
* *
山頂と中央稜 主稜線から山頂
* *
山頂の登り 美瑛岳
* *
山頂 山頂から北に連なる稜線

*

inserted by FC2 system