日高 ピパイロ岳、伏美岳

増田 宏 

 アイヌの地名は最初に川の名が付けられ、その川の源にある山に対して川と同名の名前が付けられるのが通例である。ピパイロ岳(1917㍍)も通例のとおり、ピパイロ川源流に聳えることから川と同名の名が付けられた。以前はピパイロに美生をあて美生川、美生岳と表記していたが、いつの間にかピパイロ川は漢字を音読みして美生(びせい)川、山麓の集落は美生(びせい)と呼ばれるようになった。両者を区別するため山名については美生岳と表記せず、ピパイロ岳とカタカナ表記している。
 また、ピパイロ岳に源を発する美生川本流をピパイロ川、芽室岳に発する支流と下流部を美生川と呼んでいる。「ピパイロ」はアイヌ語でピパ・イ・ル(川貝のあるところ)という意味である。川貝は流れの少ない下流部の川底や沼に生息するカラスガイのことであり、ピパイロ川下流にはカラスガイが多く棲息していたらしい。
 ピパイロ岳の最初の登山は1925(大正14)年7月、北大の伊藤秀五郎らによってなされた。彼ら4人は美生(ピパイロ)川からピパイロ岳に登り、主稜を縦走して戸蔦別岳を経て幌尻岳に初めて登頂し、戸蔦別川を下った。この記録は伊藤の著書『北の山続篇』(1976年刊)に「ピパイロ川上流の山々」として掲載され、「ピパイロ岳は美生川源流に屋根形で巍然としてそびえたつ峰」と記載されている。ピパイロ岳は日高山脈で積雪期登山が最初に行われ、日高山脈近代登山史の幕開けとなった山である。1928(昭和3)年3月、北大山岳部の一行がピパイロ川支流のトムラウシ川を遡って積雪期の登頂を果たした。翌年1月、ピパイロ岳を登った部員を含む一行によって幌尻岳の積雪期登頂がなされた。
 北大山の会によって編纂された『日高山脈』(1971年)によって私はこの山を知り、ピパイロという美しい名前に惹かれて憧れを持った。初めて憧れの日高に入山した時にカムイエクウチカウシ山から幌尻岳に縦走し、ピパイロ岳で締め括ろうと計画したが、強行日程で疲れ、幌尻岳に登ったことに満足して額平川沿いの登山道を下山した。

* 初めてこの山に登ることができたのは、五月連休に芽室岳から幌尻岳まで北日高の縦走をした際のことである。ルベシベ山付近の幕営地から稜線を伝い、北鞍部からピパイロ岳の登りにかかった。股まで沈む軟雪に体力を消耗し、最後にハイマツ帯に突入し山頂の肩に出て道伝いに山頂に立った。この時は強風のため景色を楽しむ間もなく、肩から西に少し下った場所で幕営した。日高山脈5番目の標高を有し、美しい名を持つこの山はピパイロ川源流に屋根形の山容をもたげ、以南は痩せて日高らしい稜線が続く。南に隣接する1967㍍峰は無名峰だが、日高第三の高さを有する山である。
 伏美(ふしみ)岳から稜線伝いに登山道が整備され、幌尻岳への経路として利用されている。伏美岳(1792㍍)は地形図に名前の記載のない山だったが、地元の芽室山の会によって道が整備され、二十年以上を要してピパイロ岳まで開削された。伏美岳・ピパイロ岳はエサオマントッタベツ岳から戸蔦別岳、幌尻岳に至る北日高東面の圏谷(カール)を観察するのに恰好の位置にあり、北日高の展望台といわれている。以下は五月連休に伏美岳からピパイロ岳を訪れた記録である。
 前夜、中国に赴任していた山仲間の大谷さんと新得駅で合流し、翌朝、伏美岳を目指した。美生川沿いの林道を車で走り、冨良牛(トムラウシ)橋から支流のニタナイ川沿いの林道に入った。林道分岐から伏美岳避難小屋まで7㌔のうち半分ほど走った所で積雪のため通行できなくなった。ここから林道を歩いて1時間強で伏美岳避難小屋に着いた。小屋で伏美岳から下山して来た三人組と会った。彼らは中腹の1200㍍付近で幕営し、伏美岳・妙敷山の二峰を往復して小屋に泊まっていた。
 小屋から三、四百㍍で林道終点になり、尾根に取り付く。取り付きは予想外の急斜面で、夏道は電光形に付いているらしい。途中、芽室岳から縦走して来た五人組と会った。1200㍍付近でいったん傾斜が緩くなるものの、再び急な登りとなる。上部で伏美岳から妙敷山に向かう八人組を見かけた。彼らも芽室岳から縦走して来たらしい。伏美岳は里に近く林道歩きが少ないのでこの時期でも入山者が多い。
 頂上には城砦のような雪のブロックで囲まれたテントが一つあった。私たちは2、3㍍下の雪を削って整地した跡にテントを設営した。それから軽装で妙敷山(1731㍍)を往復した。伏美岳からいったん二百㍍ほど下るが、妙敷山の登りは雪面の状況がいいので意外に楽だった。妙敷(おしき)山は以前から地図に記載され、戸蔦別川沿いからよく見えるので伏美岳よりも知名度が高かったが、道がないため残雪期以外は殆ど登られていない。曇天で山頂から日高山脈の展望は良く効いたが、大雪山方面は雲の中で見えない。当初は大雪山連峰のトムラウシ山を予定していたが、北ほど天気が良くない予報だったので急遽、日高に変更したのだった。
 翌朝、快晴になったのでピパイロ岳を目指した。伏美岳からピパイロ岳間は殆ど雪稜がつながっており、快適な稜線歩きだ。稜線は主にダケカンバの樹林帯で展望は良くない。今回は縦走ではなく、軽装での往復なので気軽な山登りである。最低鞍部1550㍍からピパイロ岳まで三百五十㍍以上の標高差だが、荷が少ないので思ったより楽だった。一部ハイマツが出ていただけで殆ど雪稜を歩くことができた。
 山頂からは南側の眺望が素晴らしい。三角形をした戸蔦別岳の後方に山脈の最高峰幌尻岳が見え、さらに痩せた稜線がエサオマントッタベツ岳につながり、その後方にカムイエクウチカウシ山の鋭峰が覗いている。山脈の東面には氷雪に磨かれた圏谷(カール)群が並んでいる。北側はチロロ岳に連なる稜線が美しく、心惹かれる。
 往路を伏美岳に戻り、テントを畳んで一気に下山した。1時間強で尾根を下り切り、この日は芽室の川北温泉に投宿した。翌日は雪になり、新得で大谷さんと別れて日勝峠に向かった。日勝トンネルを越えた日高側は雪の路面になっており、普通タイヤだったので低速で慎重に走り、何とか無事に峠道を下り切った。その晩に苫小牧からフェリーで帰途に就いた。

2005年5月5日〜6日
5日 林道通行止地点(7時30分)伏美岳避難小屋(8時40分/8時50分)伏美岳
(12時10分/13時 )妙敷山(13時50分/14時10分)伏美岳(15時05分)
6日 伏美岳(5時30分)ピパイロ岳(7時30分 /7時40分)伏美岳(9時35分/
10時30分)伏美岳避難小屋(11時45分/12時)林道通行止地点(13時)

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ピパイロ岳(伏美岳から)
伏美岳から妙敷山 後方は十勝幌尻岳
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妙敷山から伏美岳
伏美岳からピパイロ岳への稜線
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伏美岳から幌尻岳・戸蔦別岳
伏美岳からエサオマントッタベツ岳方面
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ピパイロ岳から伏美岳(左)、妙敷山(右)
ピパイロ岳からカムイエクウチカウシ山
(左奥)、ナメワッカ岳(右奥)方面

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