暑寒別岳

増田 宏 

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暑寒別岳概念図

 暑寒別岳(1492b)は北海道中央部の日本海側に位置する増毛山塊の最高峰である。山名は暑寒別川の名に由来する。アイヌ語でショカンペツ、滝の上にある川を意味する。ペツは川であり、さらに川を付け足すのは余計である。これに暑寒別の当て字をした結果、暑くて寒い別の川という奇妙な表記になった。北海道の地名はアイヌ語に表意文字の漢字を当てたことから奇妙な地名になった。表音文字のカタカナで表記すればよかったのだが、もはや漢字表記を見直すことは不可能だろう。ちなみに増毛はマシュケの当て字で、鴎の多いところを意味する。増毛は鰊が多く、鰊の大群がやって来ると鰊を狙って海一面に鴎が舞うという。
 増毛山塊は豪雪地帯であり、初夏まで豊富な残雪に覆われている。暑寒別岳を始めとして雄冬山(1198b)、浜益岳(1258b)、群別岳(1376b)などの山が連なっている。暑寒別岳の東側には高層湿原で有名な雨竜沼があり、初夏から秋まで賑わう。暑寒別川方面から山の神登山道、北側から箸別登山道、東側から雨竜沼湿原経由の登山道と三方向から登山道が整備されている。
 私が初めてこの山に登ったのは二十年ほど前の五月連休で、増毛駅からタクシーで山の神コースの起点暑寒荘に向かった。真っ暗だったので山荘に気付かず、一時間近く歩いて間違いに気付き、戻ってようやく山荘を見付けて泊まった。山荘は無人で宿泊者はほかに誰もいなかった。翌日早朝に出発して山頂に立ったが、山頂は寒風が吹き視界がなかった。後から単独でスキーを着けた人が登って来ただけでほかに人は見かけなかった。その次にこの山を訪れたのは夏で、妻と小学生の子供を伴い雨竜沼湿原に向かった。雨竜沼から山頂往復は距離が長く、子供連れには難しいので南暑寒岳(1296b)までの往復とした。翌年の夏には妻と子供を伴って箸別から山頂に向かったが、途中で雨が降り出したので中止した。
 増毛山塊には暑寒別岳以外に登山道はない。暑寒別岳に次ぐ高度を持つ群別岳は北海道では稀な鋭峰で名山の風格があり、山仲間の大谷さんと五月連休に群別から幌天狗を経て群別岳に登り、浜益岳、浜益御殿(1039b)を経由して浜益に下った。群別岳の急峻な斜面を下り、見上げた山頂は鋭く天を突いていた。
 今年の四月末、札幌の山仲間の齋藤さんと二人で久しぶりに暑寒別岳に向かった。暑寒荘の前には二十台以上の車が駐車しており、同じ時期にかかわらず、妻と初めて訪ねた時の寂しい印象とは様変わりしていた。道路端の積雪は二bあり、豪雪だったことが窺える。入山者の大半が春山スキーの人であり、私も長さが半分の夏スキーにシールを付けて登った。樹に番号札が付けられており、積雪期用の標識になっている。先行者のシュプールを辿ると尾根上に出た。尾根はスキーに適した広い緩斜面で地元の人がお供え山と呼ぶ突起の東を小さく巻き、標高1200b付近から急な登りとなる。斜面には先行した人たちが点々と続き、ざっと数えただけで三十人いた。この斜面を登り切ると、箸別からの尾根が合流する。山頂付近だけ残雪が解けて藪が出ていたのでスキーを置いて山頂を往復した。群別岳の鋭い山容と西暑寒岳(1413b)に連なる屏風のような稜線が印象的だった。
 骨折後、初めてのスキーなので下りは慎重を期した。他の人々が滑降を楽しみながら下るなか、上部の斜面は超低速の横滑りで下った。それでもだんだん慣れてきたので下半分は下手ながらも回転を楽しむことができた。この日は増毛にある齋藤さんの実家に泊めてもらい、地元で採れた新鮮なタコとヒラメ、カレイをご馳走になり、北海道らしい旅の気分を味わった。

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群別岳から暑寒別岳 暑寒荘
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山の神からの尾根 山頂付近
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山頂から西暑寒岳 山の神への尾根を下る
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群別岳 群別岳山頂 後方は浜益岳
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幌天狗から 群別岳 浜益岳への稜線から群別岳

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