白砂山

増田 宏 


 上信越国境にある白砂山(2140㍍)は白砂川・清津川・魚野川の水源をなし、深い渓谷と原生林に囲まれている。かつては秘峰と呼ばれていたが、現在は野反湖まで車が入り、気軽な日帰り登山の対象として親しまれている。
 この山が登山史に現れるのは大正時代になってからで、1917年(大正6)10月の日高信六郎・森喬による記録が最初である。この山行では花敷温泉から野反池(当時)経由で山頂往復に3日を要している。日高信六郎は後に外交官になり、欧州赴任中に日本人最初のモンブラン登頂者になった。第二次世界大戦中、イタリア大使在任中にアメリカによるイタリア占領で拘束された経験があり、後に日本山岳会長になっている。著書に「朝の山残照の山」があるが、私が山の本に興味を持った時はすでに絶版になっており、いまだに読む機会がない。
 次は日本山岳会の藤島敏男による1927年(昭和2)4月末の記録で、残雪を利用して花敷温泉から日帰りで強行している。この時は八間山から尾根伝いに登り、帰途は堂岩山からハンノキ沢を経由して野反池に戻っている。藤島敏男はこの数年前に木暮理太郎に同行して皇海山に登っており、後年「日本百名山」を著した深田久弥としばしば山行を共にしている。著書「山に忘れたパイプ」は私の蔵書にもあるが、この書名は白砂山に登った時の紀行名を採用したものである。
 いずれも地元の道案内を伴っている。その数年後、清津川と白砂川から登行した記録が相次いで発表された。これらの山行は渓谷の遡行が目的ではなく、白砂山の登路として採用したものと考えられる。白砂山周辺の渓谷は奥深いものの、利根水源の山や谷川連峰のような険谷ではないため、比較的初期に遡行されている。


白砂山概念図

 一般的でない苗場山への長大な縦走路を除けば、登山道は野反湖からの1本だけである。
 野反湖から白砂山への道を辿ろう。ハンノキ沢を渡ってひと登りすると地蔵峠に着く。秋山郷への道を左に分け、右の県境稜線に付けられた登山道を登る。コメツガとオオシラビソの樹林帯を登り、水場の標識を見るとまもなく堂岩山頂である。ここで白砂山の姿を初めて望むことができる。ここから見る白砂山は惚れ惚れとする秀麗な山容である。 白砂山より五十メートル高い佐武流山が山頂まで樹林に覆われた地味な山容なのに対し、白砂山は森林限界を抜けて颯爽と聳えている。ここで八間山からの新しい道が合流する。堂岩山から先は森林限界を抜け、ササとハイマツの尾根を行く。鞍部から最後の登りで山頂に立つ。以前は三角点以外に何もない頂だったが、新しく大きな標識ができている。東と北は深い山が幾重にも連なり、安易に踏み込めない原始境である。

 私が初めて白砂山に登ったのは三十数年前の学生時代で、夏休みに野反湖のキャンプ場に2泊し山頂を往復した。その数年後、野反湖から地蔵峠を越え、魚野川支流の渋沢を遡行して前衛峰の堂岩山に立った。その後、3月中旬に三国スキー場から上越国境稜線を縦走して東側から山頂を目指した。ここは稜線のつながりが複雑なうえオオシラビソの深い樹林帯に覆われている。そのうえ悪天で視界が悪いため進路の選択に苦労した。稜線通しに行けない痩せ尾根は西側山腹を巻いた。1日目は日没直前まで行動し、忠次郎山と上ノ間山の中間に幕営した。翌日は曇りながらも視界が開け、上ノ間山から雄大な稜線を連ねた白砂山が白銀に輝きひときわ魅力的だった。頂上稜線は南側に雪庇を張り出している。積雪期の頂は高山的であり、まるで別の山のようだ。堂岩山から夏道を離れ、八間山に続く稜線から西に派生する尾根を野反湖に下り、長い車道を和光原まで歩いた。 翌年の5月中旬には野反湖から白砂山に登り、信越国境稜線を辿って佐武流山を目指した。堂岩山までは夏道と雪の上を交互に行くが、堂岩山と白砂山の間は稜線が狭いので雪は付いていなかった。降雪混じりの強風が吹きすさぶ悪天の中を歩き、赤樋山の北に幕営した。翌日は快晴になり、佐武流山を往復し野反湖に戻った。
 長年の課題だった厳冬期の白砂山に登ったのはその十年後のことである。 冬期車両通行止め地点の和光原から歩き出して野反湖に幕営し、2泊3日の日程で山頂を往復した。堂岩山から見た白砂山は雪庇が張り出した白い稜線が山頂に向かって延び、神々しい姿だった。その後、残雪の時期にも訪れ、新しくできた八間山経由の道も歩いた。白砂川の支流八間沢(魚ノ沢)を遡行し、八間山に登ったこともある。
 苗場山に連なる信越国境稜線の道は長らく深い藪に覆われて通れなかったが、近年再び整備された。三国峠に連なる上越国境稜線には道がなく、深い薮が訪問者を拒んでいる。この稜線には登山道の伐開などしないで自然のままにしておいてほしいものだ。1つくらい道のない稜線があってもいい。これまで三方から七、八回山頂に立っているが 、私にはまだ清津川と白砂川の遡行が課題として残っている。 深い森に包まれた渓谷にこそ白砂山の魅力がある。野反湖から日帰りで簡単に登れるが、深い山と谷を擁する白砂山は多くの魅力を秘めている。


堂岩山から白砂山

八間山から白砂山(4月)

渋沢・大滝

八間沢の滝

信越国境稜線(佐武流山方面)から白砂山

冬の白砂山(堂岩山から)

白砂山山頂の登り

雪庇の尾根を行く

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