白砂川

増田 宏 


 白砂川は上越国境の上ノ倉山から白砂山付近を源とし、その流域は登山道もない原始境である。この沢が登山史に現れるのは昭和初期で沢の遡行記録としては早期に属する。白砂川の渓谷は奥深いものの、険しくないので渓谷の遡行を目的にしたというよりも白砂山への登路として採用されたのかもしれない。私は三十数年前の新聞記事で水源紀行を読んで以来、この川に関心を持っていた。特に源流にある「スルスの岩洞」に興味があった。白砂川は当時の登山案内書にも載っており、大学の時に仲間と計画したが、風邪を惹いて断念し、野反湖から白砂山を登っただけで終わった。その後、沢登りが盛んになる一方、白砂川はすっかり忘れ去られ、近年は殆ど記録もない。最近の沢登りでは快適な沢や遡行価値の高い沢以外は顧みられなくなり、白砂川のような変化のない沢は敬遠されている。しかし、この沢は白砂山へのクラシックルートであり、いつか訪ねて見たいと思っていた。


白砂川概念図

 その機会は今夏にやって来た。山仲間のIさん、Hさんに私の妻と中学生の子供が加わった総勢5人で白砂川に向かった。 あらかじめ車1台を野反湖畔の白砂山登山口に駐車し、もう1台で白砂川の林道に向かった。白砂大橋を渡り、万沢林道分岐の遮断器から歩き出した。直前まで雨が降っていたので水量が多い。ダムの工事用道路から遡行する計画だったが、水量が多く徒渉に困難が予想されるので林道終点付近から木戸沢出合に降りることにした。以前通ったことがあるHさんを先頭に林道から下降し始めたが、まもなく踏跡を見失った。強引に斜面を下ろうとしたが、崖地のような急斜面になったので何とか踏跡を見付けて沢に下り立った。
 広い川幅の沢を自由に行けると思っていたが、木戸沢と黒渋沢を分けても水量が予想外に多く徒渉は容易ではない。水勢の激しい場所では手をつないで渡った。天気は雲ひとつない快晴で真夏でも沢の中は冷たく快適だ。すぐ銀淵(タズナ)と呼ばれる淵に出る。ここは両岸から岩が迫り出して深くなっており、徒渉して左岸の岩をへつる。ここで1人が水勢に押されて倒れ水浸しになったが、すぐ乾くので苦にならない。この先のへつりでも2人が水に落ちたが、苦笑いしただけで済んだ。ただ、水に漬かってIさんのカメラが駄目になってしまった。
 猟師の沢出合の先に白砂川唯一の悪場がある。合流点には竜ノ口滝6㍍がものすごい水量で落ちており、合流点で休んでいた私たちに水しぶきがかかるほどである。雨が多かったので特別に水量が多いようだ。右壁を直登できると記録にあったが、水量が多くとても登れない。ここは昔の記録どおり猟師の沢から大高巻きすることにした。まず猟師の沢にかかる5㍍滝を左から高巻く。この高巻きルートには古い固定ロープがあった。その先にある猟師の岩洞から右の斜面を登って2つの沢を分ける猟師の尾根に出た。この斜面にも古い固定ロープが残っていた。問題は本流への下りである。尾根から反対側斜面に付いている踏跡を下ったが、すぐ見失った。あちこち踏跡を探したものの結局見付からず、立ち木を支点にザイルを何回か掛け替えて急斜面を直下降し、最後はガレ地を下って悪場の上に下り立った。ルート探しに時間を費やしたためこの通過に2時間を要した。大きな沢を分岐したのでこの先は水量が減って徒渉は容易になった。
 庄九郎滝は淵になっているだけで簡単に通過できる。三俣沢を分岐すると三つの滝が連続する。落差は数㍍しかないが、水量が多いので豪快である。いずれも階段状の岩を簡単に直登できる。
 大涸堀沢分岐から幕営地を探しながら行ったが、赤沢を過ぎても適地が見付からず赤沢出合の少し下流まで戻った河原を幕営地とした。この付近から上流は右岸の斜面が切り立って崩壊し険しい渓相を呈しており、本流には赤っぽい巨岩がごろごろしている。行く手には大きな岩柱が屹立している。
 幕営地の巨岩の裏に岩屋があり、これがスルスの岩洞だろう。今回の目的の一つはスルスの岩洞を探訪することだったが、どこにでもある平凡な岩屋だった。昔は猟師が泊まり場にしていたので重要な場所だったが、今ではわざわざ地形図に記載するまでもないと思う。スルス岩は岩洞の上部左岸斜面にあると記録にあったが、ここからはそれらしいものは見えない。スルスとは脱穀に使う石臼だというが、実際に見たことがないのでどんな形をしているのか想像できない。榛名山にもスルス(磨墨)岩があるが、現在では使われていない機具なので実際に知っている人は殆どいないだろう。
 テントを張り焚火の傍らで酒を酌み交わした。見上げる夜空は満天の星空だ。大人数での幕営は初めての経験で楽しい夕べだった。ただ、この日は酒に弱いことを忘れ、飲み過ぎて大失態を演じてしまった。アルコール中毒で脚が痙攣して夜中まで七転八倒の苦しみを味わった。
 翌日は白砂山を目指して支流の赤沢を遡る。出合付近が急な崩壊地になっているので険悪そうに見えるが、小さな滝が散在する易しい沢だった。 小一時間ほど行くと二俣になる。水量は右俣が多いが、白砂山に近い左俣に入った。まもなく水が涸れ、両側から笹が覆い被さった岩溝を行く。溝がなくなると深い笹漕ぎになり、最後にガレのある急斜面を這い登って稜線に出た。以前の案内書には稜線に踏跡があると書いてあったが、踏跡は付いておらず笹漕ぎをして上ノ間山に向かう。頂上付近は針葉樹の灌木帯で予想外の辛い藪漕ぎを強いられた。
 上ノ間山から先には踏跡があるだろうと期待していたが、踏跡は全くなく笹の稜線が続いていた。笹が低い上州側斜面の縁沿いに稜線を辿り、2時間を要して白砂山に辿り着いた。霧が上昇して来て稜線を覆ったので直射日光が当たらず、消耗が少なかったのは幸いだった。白砂山の下りでやっと整備された登山道になったが、体力を消耗したので誰も口を利く元気がなく黙々と歩いた。3時間で下れるはずだったが、4時間を要して野反湖に辿り着いた。白砂川は水量豊かな滔々とした流れで大河の趣があった。稜線の藪漕ぎで予想外に苦労したが、三十数年来の課題を達成して満足した。

[記録]
2009年8月14日〜15日
万沢林道分岐 8:10 木戸沢出合 9:45〜10:00 猟師の沢出合 11:30〜11:50 高巻終了 14:00 スルスの岩洞 17:00
スルスの岩洞 6:30 白砂山 12:40〜13:15 野反湖 17:10


下流部の徒渉

銀淵(下流側 )

銀淵のへつり(上流側)

竜ノ口滝

猟師の沢5㍍滝

猟師の沢 5㍍滝の高巻き

猟師の悪場上流(高巻下降点)

三段の滝 最初の滝

赤沢出合付近の岩柱と巨岩帯

スルスの岩洞前の幕営地

スルスの岩洞

赤沢出合

赤沢の遡行

赤沢を行く

赤沢の詰め

上ノ間山から白砂山の稜線

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