知床岳

増田 宏 


 知床半島には斜里岳、海別岳、羅臼岳、硫黄山と火山が並んでいる。その東端にあるのが知床岳(1254㍍)である。知床岳は登山道が整備されず、未だ秘境的要素を残した山である。山脈とはいっても羅臼岳・硫黄山とは標高三百㍍に満たないルシャ乗越で断絶しており、独立した山の風格がある。
 地質学的には安山岩質の溶岩台地とその上に噴出した新しい溶岩円頂丘からなり、北側は溶岩円頂丘が爆発で崩壊し、火口壁の崖になっている。半島中央部の羅臼岳、硫黄山は活火山であるが、知床岳は活動をすでに停止している。
 無雪期の知床岳に登るには、相泊から海岸沿いに歩いてウナキベツ川から稜線に登り、知床沼を経て山頂に至るのが一般的である。斜里側からコタキ川を遡る登路も採られる。残雪期は相泊からカモイウンベ川沿いに登って二俣から尾根に取り付き、標高千㍍付近で台地に出て山頂を目指すのが最も容易な登路である。
 私は知床岳から知床岬まで縦走したいと思っていたが、ハイマツ漕ぎに強靭な体力が必要なことから同行者が得られず、幻の計画に終わっている。知床に執念を燃やしていた友人は若い時に実行しているが、今ではとても行く気になれないと言う。そんな経緯もあって3年前の5月連休に相泊から知床岳を目指したが、溶岩台地まで登ったものの、強風と視界がない悪天候に阻まれて撤退した。2泊して機会を待ったが、台地上部の雲が取れず、空しく引き返さざるを得なかった。「魔のポロモイ台地」と呼ばれる知床沼周辺と同じくこの台地も地形が複雑で、視界が利かない中での通過は困難である。羅臼岳から硫黄山を目指した時も雪面に置いた三十㌔のザックが動き出すほどの強風で撤退した。積雪期の知床は厳しい気象条件なので簡単には登らせてくれない。
 この5月連休に前回、同行した札幌の知人と再び知床岳を目指した。札幌から相泊まで五百㌔以上の距離があり、車での往復に2日かかるので登山には最低3日を要する。札幌を夜明け前に出発したが、相泊に着いたのは昼頃になっていた。相泊から海岸を20分ほど歩き、カモイウンベ川の橋を渡った地点で段丘に取り付く。前回、段丘の斜面は雪に覆われていたが、残雪が全くなく、笹藪になっていた。カモイウンベ川沿いに釣人の踏跡を辿ると、やがて残雪が現れた。カモイウンベ川の二俣上流まで行ったものの、前回、雪面伝いに通過した沢は水流が出ていて徒渉しなければならないことが判ったので徒渉点で幕営した。
 翌朝、右俣を倒木伝いに越えて左俣との中間尾根に取り付いた。この先で熊の足跡が現れ、足跡伝いに行くと斜面を登っている熊の姿が見えた。月の輪熊なら人の気配を感じて脱兎のごとく逃げ去るのに対し、「俺に適う者はいない」とでも思っているのか、羆は悠然と歩いている。距離があるので危険は感じなかったが、私たちが目指している方向に向かっているので熊の姿が見えなくなってから足跡を追った。熊は4本足に爪を効かせて急峻な斜面を楽々と登っていた。電光形に効率良く登っており、積雪期の登山技術と同じなのに感心した。急斜面は標高六百五十㍍から九百㍍まで続いており、登り切った付近で足跡は東の山腹に逸れて行った。緩い登りになって標高千㍍付近で溶岩台地上に立った。台地の手前はハイマツが出ていたが、うまく迂回してハイマツ漕ぎを避けることができた。台地上は山頂稜線まで雪原がつながっていた。今回は風が弱く、視界も良好だ。台地を横切って火口壁の山頂稜線を辿り、稜線西端の山頂に立った。ほかにスキー登山の4人組に会っただけの静かな山行だった。


知床岳概念図

徒渉点付近の幕営地

右俣徒渉点

登路の尾根と千㍍台地

知床岳千㍍台地(2006年)

急斜面を登る 熊

雪面を悠然と登る熊

台地から山頂稜線

山頂直下

爆裂火口

火口壁

山頂稜線

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