天塩岳

増田 宏 


 北海道第二の大河天塩川は天塩岳に源を発し、北見山地と天塩山地の間を北流し、天塩平野を経て日本海に注ぐ。天塩川は本邦第四の長河でもある。天塩岳(1558㍍)は北見山地の最高峰で、利尻島を除けば道北随一の高さを誇るが、平凡な山容で美しい高山植物帯もない。この山が名峰とされているのは、大河天塩川の水源に位置し、天塩岳の名を冠せられているからである。人は大河の水源に特別の思いを持っている。この山は奥深い位置にあり、駅のある士別から朝日町の登山口まで六十㌔もあって昔は容易に近付けなかった。現在は愛別からも林道が通じて車で登山口まで簡単に行けるようになり、登山者で賑わっている。
 登山道は天塩川の水源沿いに行く旧道しかなかったが、1959年、林道終点に天塩岳ヒュッテが設置されて以降、南側からの新道と前天塩経由の道が伐開されて周回できるようになった。東側の滝上町からも道が通じており、合わせて4つの道がある。


天塩岳

 私が初めて天塩岳に登ったのは二十年ほど前のことである。バイクで天塩岳ヒュッテまで行き、1人で旧道を登って前天塩岳経由で周回した。登山口から遠望する天塩岳は平凡な山容で、ヒュッテの背後に見える右の円頂が天塩岳、左の円頂が前天塩岳でどちらも同じような高さに見える。旧道は考えていた以上に荒れており、思わぬ苦闘を強いられた。前天塩登山道を左に分けると道は急に心細くなり、雪渓が現れると踏跡はいつしか不明になった。雪渓を2箇所越え、滝を高巻いて沢伝いに行き、天塩岳山頂に立った。旧道は沢歩きに近く、現在は殆ど利用されていない。しかし、天塩川の源流を辿るので沢登り経験者ならば訪れる価値は十分ある。
 次に登ったのは十五年後で、家族と一緒に新道を登って前天塩岳経由で周回した。新道には新しく避難小屋ができており、1465㍍峰は西天塩岳と名付けられていた。避難小屋周辺の湿地には生々しい熊の爪跡があり、私たちは熊を警戒して鈴を鳴らし、笛を吹きながら歩いた。前天塩岳にはコマクサの群落があり、その中に珍しい白いコマクサがあった。前天塩岳の下りでは熟したクロマメノキの実を食べながら歩いた。
 3回目に登ったのは2009年夏で、滝上町側から渚滑川一ノ沢を遡行して山頂に至り、東尾根上に付けられた登山道を下った。一ノ沢は沢幅が狭く水勢が激しいものの、上流の二俣まで滝や函は全くない。二俣から右の沢に入ったが、ここから滝の連続となる。いずれも階段状の容易な滝であるが、流れが激しく流水をまともに浴びて登ることもある。源流は頂上付近に突き上げている。この沢にはザイルを要する滝は全くなく、初心者向きの手頃な沢であった。ただし、滝上町側の下山道は全く刈られておらず、大半は笹藪を漕がねばならなかった。下山後、衣服に着いている夥しいダニを見付けて大騒ぎになった。完全に取り除いたと思っていたが、後日ダニが2箇所、体に食い付いているのを発見した。すでに深く食い込んでおり、完全に引き剥がすことはできなかった。刈り払いされない限りこの道はとても勧められない。
 これまで3回の山行で全ての登山道を辿ってひととおり天塩岳に足跡を記したが、私はまだ積雪期の天塩岳を知らない。積雪期の天塩岳は遥かな山であったが、東側の浮島トンネルが通年通行できるようになってからは条件さえ良ければ日帰りも可能になった。以前、残雪期に1人で浮島トンネルから天塩岳を目指して出発しようとしていたところ、徒渉できずに戻ってきた一行に出会い、北見山地南端のチトカニウシ山に行く先を変えたことがある。次に天塩岳を目指すのは積雪期か残雪期となろう。


天塩岳ヒュッテと当時乗って行ったバイク

天塩川上流の雪渓(旧道)

前天塩岳(本峰から)

天塩岳山頂から西天塩岳

天塩岳山頂から西天塩岳・丸山方面

天塩岳本峰(前天塩岳から)

天塩岳避難小屋

渚滑川一ノ沢右俣の溯行

渚滑川一ノ沢右俣の瀑流帯

渚滑川一ノ沢源流の雪田

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