もとらいでんやま。旧大間々町の桐原配水場の上に廃棄された雷電神社のお社があります。雷電様はどこかに遷座されて朽ちかけた神社の跡だけが残されています。と、元雷電山の紹介は以上です。

社の裏手に雷電宮遷座跡と刻まれた石碑が建てられています。何処にご動座になったのかは書かれていません。屋根だけ残った石祠、何の神様かはわかりません。
ここから手振山までの尾根道がすこぶる付きの心地よさだったので、元雷電山として項を作りました。

国道122号線を進み、大間々警察署の手前で左折し、桐原配水場まで。車は配水場の前の空き地に駐車可能です。
配水場のフェンスに沿って進みます。四角形のフェンスの二辺目が終る頃、左に石段が現れます。草が繁っていますが、自然石で作られた階段は雷電神社の参道だったのでしょう。歩き良い階段です。この階段からの眺めが絶品です。手振山からの展望と併せて、周辺の山ではトップクラスと、案内してくれた山師のhisiyamaさんが仰っていました。hisiyamaさんの話では、この石段は赤城山から流れてきた石を使っているそうです。
石段もお勧めですが、ここからの樹林の中の尾根道の風情といったら、筆舌に尽し難いものがあります。何処ぞの深山の縦走路を歩いている趣とまではいいませんが、雅趣がそこはかとなく感じられ、私は好きな道になりました。一カ所だけ(たぶん)分岐がありますが、そこは左に。少し薮臭くなりますが、もう手振山の頂上直下です。すぐに電波塔の脇に出て、電波塔のフェンスまで急に下ると、山頂への踏み跡に出合います。
山頂にあった、486.3mと書かれた山名標はなくなっていました。かわりに当会の山名標をかけてきました。486.3mの出所が不思議だったのですが、昭文社の都市地図「桐生・みどり市」の手振山の標高が468.3m。こいつか、諸悪の根元は。

下山は、来た道よりも瀬戸ヶ原を抜けて、燧坂なぞをゆっくり下るのが良いでしょう。駐車地までの周回コースになります。瀬戸ヶ原から登るのは、双葉保育園の良い子たちに任せて、大人は桐原配水場から登りましょう。もとからある手振山の項は、そのままにしておきますが、登路はこちらに訂正するということで。

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