とりいざか。むかでとりい。山の紹介のスタイルですが、山ではありません(残念ながら)。鳥居坂のタイトルですが、鳥居坂の紹介記事ではありません。鳥居坂は百足鳥居があるがためにそう呼ばれるようになっただけのものです。青木清さんの写真集「粕川渓谷をたずねて」に、“新里村板橋と粕川村室沢の村境に鳥居坂といわれる坂道がある。その北側の小高いところに、石造りの鳥居があり、その笠石には大きな「むかで」が一対彫ってある。”と書かれています。むかでが彫られているのは鳥居一番うえの笠木ではなく、その下の島木でしたが、それはどうでもよいところです。ただ、文中の小高いところという文字に反応して、いってみました。多少高ければ、山になるかも。

で、小高いところは山ではありませんでした。今までに、一般的には山とはいえないところを、妄言を費やして山と言い包めてきたことがなかったとはいいません。この地はというと、百足鳥居のある小高いところは自己完結しています。以前は鳥居の下を参道が通っていたのでしょうが、今では完全に独立した鳥居が建つのみです。鳥居に至る踏み跡さえありません。草地をどかどか歩いてゆくだけです。傍らの道からは高低差がありません。ここが山であってもいいんじゃないかと強く訴えましたが、楚巒山楽会の「そこが山であるかどうかを認定するよ」委員会において却下されました。

鳥居は天明2(1782)年に、赤城山東南麓から登る参道として、新里、粕川、宮城、赤堀の有志によって建てられました。額束には赤城山の文字が刻まれ、島木には赤城山神の姿の大百足、鳥居の下に立つと正面に赤城山が。
粕川村誌に“遠い昔から室沢の北、赤城山に向かって滝沢並木、中並木、大猿並木と三筋の並木が老松もたかだかと生い茂っていた。大猿並木は新里村の村界をなして、赤城の名勝大猿谷への通路で、その昔赤城登山道として利用されていた。”と書かれている道筋にあたっているのでしょうか。前山にあった参道跡などと繋がってくると、などと想像が膨らみます。旧時には、この鳥居を潜り、春になると山ノ神を迎えに歩いて赤城山に……。

観光スポットの紹介になってしまいましたが、この景色、一見の価値ありです。左の写真だけだったら山と言えるのですが。

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